カトリックの神父は神のみ心を世に伝えるだけ 。信者は?

 神父は戦争にも従軍したであろう。一見、親父は戦争を容認しているようにも見えるが、戦争では消えゆく命に神の声を伝えることが目的であったと考えると納得がゆく。

 神父が裁判員制度で裁判員として指名されればどうなるか? 一種の頭の体操であるが、これはパロディと思える条件設定である。神の国の下僕と国家の下僕を比較? いや、比較ならばまだしも、その両方の性格をひとりの人間の中に埋め込もうというのであるから、これはかなりの問題設定である。だが、長いカトリックの歴史の中で、多くの聖職者がこの問題設定の場面に遭遇してきたことは、中世の暗黒時代をはじめとして歴史が証明していることだ。

 裁判員制度は言ってみれば律法学者やファイサイ派の論理である。一方、キリスト教はイエスの側に立つ「愛」の信仰である。本質的に相容れるはずがない。

 日本の約7000人の聖職者は、そして45万人のカトリック信者は? 毎年、必ず誰かは裁判員に指名される。しばらくは自問自答の時間が流れることと思う。



ヨハネによる福音書、第8章の1~11節

イエスはオリーブ山へ行かれた。 
朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、
御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。
そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、
姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、
イエスに言った。 
「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。 
こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。
ところで、あなたはどうお考えになりますか。」
イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。
イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。
しかし、彼らがしつこく問い続けるので、
イエスは身を起こして言われた。 
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、
まず、この女に石を投げなさい。」 
そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。 
これを聞いた者は、年長者から始まって、
一人また一人と、立ち去ってしまい、
イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。 
イエスは、身を起こして言われた。 
「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。 
だれもあなたを罪に定めなかったのか。」
女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。
これからは、もう罪を犯してはならない。」


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