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zoom RSS 会社社員の家族の葬儀は家族葬が主流となってきた

<<   作成日時 : 2014/04/24 19:28   >>

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ほんの10年くらい前までは、部下の父親、母親、あるいは伴侶がなくなると、その上司は職場のメンバーから香料をとりまとめ、たとえ北海道であろうと沖縄であろうと、有給休暇をとり自費でその葬儀に参列したものである。これは上司の勤めとして会社内では暗黙の了解となっていた。これができなければ管理職は失格ということである。

聞くところによれば、このような習慣(義務)が会社内で芽生えたのはバブル期前後の頃からであるようだ。昭和28年(超就職難の年)に、ある大企業に就職した叔父に当時の話を聞くと、たとえ親の葬式でも会社を休むことを許可されなかったそうだ。これはこの会社だけの極端な事例であったのかもしれないが、仕事が大事か、家庭が大事かの選択を迫られたとのこと。どこの会社もそうであったとは限らないとは思うのだが、こちらはこちらで極端な時代であったようだ。

さて、最近はどうかというと、私が勤めている会社では、葬儀が20件あれば19件は家族葬とのお知らせがあり、「参列・香料・献花はご遠慮」となっている。時代の流れかもしれないが、葬儀に関しても時代の変化の大きさにびっくりさせられる。この流れの中、家族葬以外の葬儀のお知らせ、すなわち、是非とも葬儀には参列してくださいとのお知らせをした場合、その社員の立場はどうなるか、20件中の残る1件の実態を知りたいところである。

だが、考えてみるに、従来の上司が葬儀に参列した場合も、これは仕事の一環としてであり、葬儀を終えて出社した社員(遺族)に対して「この度は大変でしたね。寂しくなられたことでしょう。」などと声をかける社員は少なかった。そして、今の家族葬を終えて出社してきた家族に対してもこの事情は同じである。会社という組織は本来は価値の創造が主目的であるから、葬儀はその範疇にはないと言ってしまえばそれまでである。会社という組織は、仕事上のつながりはあっても、人間としてのつながりを育てるのは難しい組織であるのかもしれない。

その点、地域社会においては事情が違う。子供の時から遊んだ仲間が、あるいはよく面倒を見てもらった人が死んだとき、たとえその実態が「家族葬」であっても、その後に必ずお悔やみに行く。これが田舎の習慣と言ってしまえばそれまでかもしれないが、そこには習慣以上の強いつながりがあると感じている。人間関係が濃厚すぎて、誰と誰が仲が悪く口も利かないという事態が田舎では往々にして生じるが、このような場合でも葬式だけは別である。昔、村八分という言葉があったが、残る二分は「火事」と「葬儀」である。

会社という運命共同体にいる仲間同士であるから、「火事(異常時)」と「葬儀」においては互いに心が通じ合える関係でありたいものだ。その関係がしっかりと築けると、昨日のブログで書いたうつ病にかかる社員の数もきっと減らせることと思う。



日本経済新聞 4月23日

家族葬は以外に高い

家族・親族20人だけの家族葬と、プラスで参列者が135人の一般葬で比較したところ、花祭壇を使うなどの条件を満たせば、収支は一般葬の方が安く済むケースもある(ご香料が入ってくるから)。

本来は総技の中心は家族 → バブル期以降、会葬者が葬儀の主役になっていた
家族は会葬者の対応に追われ、故人とゆっくりお別れできないケースもあった

「簡素にゆっくりお別れ」が主流に

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