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zoom RSS 大阪城の108トンの巨石は誰がどのように運んだか?

<<   作成日時 : 2014/04/29 00:04   >>

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たった400年前、しかも徳川幕府により政治が安定していた時期(2代将軍、徳川秀忠のとき)に、大坂城がどのように改築されたのかの記録が明らかでないのは不思議です。築城方法というのはこの時期にはまだ国家のトップシークレットであったのかと考えさせられてしまいます。

現在でも100トンを超える石を移送するのは極めて大変なことです。その石を、おそらくは岡山県の牛窓の前にある前島で切り出して船に載せ、瀬戸内海を大坂へと運搬し、大坂の港で船より降ろして?大坂城まで運んだと考えると、気の遠くなるような労力、そして人力です。

多くの人が調査研究を重ね、今持って解き明かされていない、巨石の運搬方法です。歴史のロマンを感じます。



徳川期大坂城石垣の石積み施工技術に関する考察 (1996)

当時、陸上で巨石を運搬するのは難しく、そのため、水上輸送を行ったというのが一般的な見解である。
しかし、その方法については明らかではなく、船による運搬方法についても大きな研究課題の一つであると考えられるが、本報文では、比較的資料の残っている陸揚場から丁場までの陸上運搬および石積みについて概説することとし、石切場からの浜出しや海上運搬については別の機会に譲ることにする。


徳川期大坂城石垣築造時の岡山県牛窓町前島石切丁場遺跡調査 (1997)

牛窓の町と狭い海峡を隔てた前島は、宝暦年間(1751〜61)まで無人島であったといわれているように、牛窓の歴史の中でどのような位置を占めていたのかはよくわかっていない。この前島の山中に刻印を施した石材があることを、島内在住の柴田守輝氏が大阪城天守閣に連絡されたことが契機となって、1977(昭和52)年最初の現地調査が行われることとなった。


徳川期大坂城石垣築造順序と工法に関する考察 (1997)

徳川初期における大坂城再築時の石垣は、豊臣期の石垣に比べ、高さ、平面規模においてはるかに大規模であるばかりでなく、推定重量で100tfを越える石材が用いられているなど、高石垣築造の技術的頂点を示すものである。工事は天下普請として、西国ののべ65家に役割を与えて工事を行わせた天下普請として実施され、1620(元和6)年より1630(寛永6)年にかけて、3期に分けて行われている。
本報文では、まず大坂城石垣の特徴と建設された順序についてのこれまでの研究成果について整理するとともに、土木工事の一般的な施工の考え方をもとにした建設方法との比較において、石垣普請の築造順序と工法の特徴について考察を加えるものである。



桜門枡形の巨石(さくらもんますがたのきょせき)
 桜門の内側には、本丸の正面入口を守るため、石垣で四角く囲まれた 「枡形」 とよばれる区画が設けられ、上部に多聞櫓 【たもんやぐら】 が建てられた。 この枡形は、徳川幕府による大坂城再築工事の第2期工事が始まった寛永元年(1624)、備前岡山藩主池田忠雄 【いけだただお】 の担当によって築かれ、石材は備前(岡山県)産の花崗岩 【かこうがん】 が用いられている。 正面の石は蛸石 【たこいし】 とよばれる城内第1位の巨石で、表面積がおよそ36畳敷(59.43平方メートル)、重量は約108トンと推定される。 向かって左手の巨石が振袖石 【ふりそでいし】 (袖石 【そでいし】)とよばれ、表面積はおよそ33畳敷(53.85平方メートル)で、城内第3位である。

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日本経済新聞 2014年1月7日

大阪城再築の巨石搬送? 小豆島で船着場遺構発見
潮の干満を利用か
最大100トンともされる巨石の
積み出し方法は不明とされていた・・・・(これで解決したと新聞記事は言っていないのだが)

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