堺市の高林家は450年続く大庄屋の家系、家屋は重要文化財
前の土曜日(5月10日)に堺市を散歩した時に、御廟山古墳と百舌鳥八幡宮(もずはちまんぐう)のほぼ中間に高林家住宅があった。名字帯刀を許された程の家で近隣八ケ村の庄屋を束ねる大庄屋だったそうです。現在の当主は26代、高林永統氏とのこと。家の歴史を450年間と長きにわたって支え続けるには大変な苦労があったことと思う。
土曜日に撮影した写真はこちらに掲載しています。
高林家住宅(堺市の広報より)
指定区分
重要文化財
説明
高林(たかばやし)家住宅は、御廟山古墳(ごびょうやまこふん)の南側にあります。
白漆喰(しっくい)の土塀に囲まれた中には、主屋(おもや)・土蔵・不動堂・稲荷社があり、建物と山林を含めた敷地全体が、江戸時代・近畿地方の大規模な庄屋屋敷の構えを良く残しています。
主屋は切妻造(きりづまづくり)の茅葺(かやぶき)屋根で、この屋根の形は「大和棟」(やまとむね)ともいわれ、大阪府と奈良県北部にかつては数多く見られた特徴的な民家の姿です。内部は約半分を土間とし、大きな梁(はり)が架けられ雄大な空間を作っています。昭和52~54年(1977~1979年)の保存修理工事により、建築当初の天正年間(1573~1592年)には屋根形式が入母屋造(いりもやづくり)でしたが、後の増改築により座敷や玄関などが整えられ、現在の姿は18世紀の終わり頃に完成したことがわかりました。
※ 現在も居宅として利用されていますので、外観からの見学をお願いします。
指定年月日
昭和44年6月20日指定
主屋・表門 附 幣串 1本
昭和61年5月24日指定
米蔵 附 柴納屋 一棟
西蔵 附 土塀 二棟
宅地 山林 溜池及び雑種地 5,981.01平方メートル
さらに詳しくは、
大阪府堺市北区 高林家住宅
さて、少し参考までに、この高林家のある地は古くより開け、歴史が古い。
御廟山古墳(ごびょうやまこふん)
宮内庁により「百舌鳥陵墓参考地」(被葬候補者:第15代応神天皇)として陵墓参考地に治定されている。
陵(みささぎ)は、大阪府羽曳野市誉田6丁目にある惠我藻伏崗陵(恵我藻伏岡陵、えがのもふしのおかのみささぎ)に治定されている。公式形式は前方後円。考古学名は誉田御廟山古墳(前方後円墳、全長約420m)。
応神天皇の年齢
生没年、数字は西暦 諸説ある
201神功1年生~310応神41年崩 110歳 日本書紀、愚管抄、興福寺略年代記
200仲哀9年生~310応神41年崩 111歳 扶桑略記他
265乙酉年生 ~394甲午年崩 130歳 古事記
390庚寅年生 ~430庚午年崩 41歳 本説
百舌鳥八幡宮(もずはちまんぐう)
創祀は、欽明天皇(532-571)の頃、八幡神の宣託をうけてこの地を万代(もず)と称したのがきっかけと伝わる。
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土曜日に撮影した写真はこちらに掲載しています。
高林家住宅(堺市の広報より)
指定区分
重要文化財
説明
高林(たかばやし)家住宅は、御廟山古墳(ごびょうやまこふん)の南側にあります。
白漆喰(しっくい)の土塀に囲まれた中には、主屋(おもや)・土蔵・不動堂・稲荷社があり、建物と山林を含めた敷地全体が、江戸時代・近畿地方の大規模な庄屋屋敷の構えを良く残しています。
主屋は切妻造(きりづまづくり)の茅葺(かやぶき)屋根で、この屋根の形は「大和棟」(やまとむね)ともいわれ、大阪府と奈良県北部にかつては数多く見られた特徴的な民家の姿です。内部は約半分を土間とし、大きな梁(はり)が架けられ雄大な空間を作っています。昭和52~54年(1977~1979年)の保存修理工事により、建築当初の天正年間(1573~1592年)には屋根形式が入母屋造(いりもやづくり)でしたが、後の増改築により座敷や玄関などが整えられ、現在の姿は18世紀の終わり頃に完成したことがわかりました。
※ 現在も居宅として利用されていますので、外観からの見学をお願いします。
指定年月日
昭和44年6月20日指定
主屋・表門 附 幣串 1本
昭和61年5月24日指定
米蔵 附 柴納屋 一棟
西蔵 附 土塀 二棟
宅地 山林 溜池及び雑種地 5,981.01平方メートル
さらに詳しくは、
大阪府堺市北区 高林家住宅
さて、少し参考までに、この高林家のある地は古くより開け、歴史が古い。
御廟山古墳(ごびょうやまこふん)
宮内庁により「百舌鳥陵墓参考地」(被葬候補者:第15代応神天皇)として陵墓参考地に治定されている。
陵(みささぎ)は、大阪府羽曳野市誉田6丁目にある惠我藻伏崗陵(恵我藻伏岡陵、えがのもふしのおかのみささぎ)に治定されている。公式形式は前方後円。考古学名は誉田御廟山古墳(前方後円墳、全長約420m)。
応神天皇の年齢
生没年、数字は西暦 諸説ある
201神功1年生~310応神41年崩 110歳 日本書紀、愚管抄、興福寺略年代記
200仲哀9年生~310応神41年崩 111歳 扶桑略記他
265乙酉年生 ~394甲午年崩 130歳 古事記
390庚寅年生 ~430庚午年崩 41歳 本説
百舌鳥八幡宮(もずはちまんぐう)
創祀は、欽明天皇(532-571)の頃、八幡神の宣託をうけてこの地を万代(もず)と称したのがきっかけと伝わる。
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