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zoom RSS 明石原人の発見地が2ヶ所ある? その存在はすでに歴史より消えた

<<   作成日時 : 2014/06/15 01:08   >>

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昔は「明石原人」といえば、小学校の教科書にも載り、日本人の長い歴史を主張するための道具であったように思う。

戦禍で「明石原人」の骨が失われ、その年代を特定する手段もなく、「明石原人」の存在は既に忘れ去られてしまった。

アカシゾウの発見地点は下に示すようにしっかりと記されている。一方、「明石原人」に至っては、発見場所が2ヶ所あることを、昨日現地に行って発見した。この2点間の距離も数百メートルは離れていることより、地質学的な調査をするにしても、その年代特定には多くの不確定要素が入ってくるだろう。

ということで、「明石原人」の存在可能性の火はもはや消えたと実感した。

明石市立文化博物館は「この明石の地において、6〜7万年前に旧人に相当する人類がいたことがほぼ確実になりました。」と前向きな見解を示してはいるのですが。




明石原人とアカシゾウが発見された場所(太い矢印地点)
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明石原人発見の地
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その東にアカシゾウ発見の地
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そしてそのまた東に、なぜか明石原人発見の地
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ここより後ろを振り返ってみると、アカシゾウ発見地もはるか後方
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明石原人(Wikipedia)

明石原人(あかし-げんじん、別名:明石人〈あかし-じん〉、西八木人骨(にしやぎ-じんこつ))は、かつて日本で発見された化石人骨を基に、日本列島に居住したと推測された古人類。

日本考古学史および人類学史において注目されるべきものであったが、現物は戦禍によって失われており、疑問の根本的解明は望めない。

人骨の発見

1931年(昭和6年)4月18日、兵庫県明石市の西八木海岸において民間人・直良信夫が、古い人骨の一部(右寛骨〈う-かん-こつ〉:os coxae (right))を発見した。しかし、直良がアマチュア考古学者[2]であったこともあり、専門家には相手にされないままであった。鑑定のため東京帝国大学(現・東京大学)の松村瞭のもとへ送られ、石膏模型を製作するなど予備的な研究はなされたが、最終的な結論が出されないまま返却され、人骨を旧石器時代のものとする直良の主張は学界では認められることはなかった。



「浜の播磨路」(加古川から明石へ)の写真集はこちらに掲載いたしました。




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