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zoom RSS 考古学の世界で、真贋の真を確定することは不可能に近い?

<<   作成日時 : 2014/06/16 19:56   >>

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さすがに、1600年も昔の話、それも土に埋もれていたものが、急に姿を現したという話は、そうであったというアリバイが必要です。ここで見つけた。その時には誰それが立ち会っていた、ということが必要です。この金印に贋作疑惑があるのは、その確固たる証明がないためでしょう。

考古学は現状を保持しながら、埋まっているものを一つ一つ丁寧に掘り出し、最近のことならばそこに科学的なメスを入れて情報を確固たるものにする。考古学といえども科学的に処理しなければ、信用性が低下し、歴史的資料としては弱くなってしまうわけです。

でも。一度これを国宝と定めたら、おいそれとは間違っていましたとも言えないでしょう。最近だと、同位体比率を測定するとその金属の生産地がどこか、ということは案外簡単にわかるようになっています。中国のこの地方、と特定できればその信憑性が大きく向上することになるのですが、だれもそのような火中の栗は拾わないかもしれません。従って、この金印はまだしばらくは国宝の座に安住することができます。

過去の話には捏造がつきものです。たとえば、旧石器捏造事件(Wikipedia)、永仁の壺事件(Wikipedia)などがあります。

真贋を見分けるということは難しいものです。真を見続けてわかる贋ですから、真があやしければ贋もあやしくなります。



漢委奴国王印(Wikipedia)

漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん、漢委奴國王印)は、日本で出土した純金製の王印(金印)である。

画像


印面一辺の平均2.347cm、鈕(ちゅう、「つまみ」)を除く印台の高さ平均0.887cm、総高2.236cm、重さ108.729g、体積6.0625cm³。紐は身体を捩りながら前進する蛇が頭を持ち上げて振り返る形に作られた蛇紐である。(※比重を計算してみると17.93となる。純金の比重は19.30

1931年(昭和6年)に、この金印が当時の国宝保存法に基づく国宝に指定され、世に知られるようになった。

発見は江戸時代天明年間、水田の耕作中に甚兵衛という地元の百姓が偶然発見したとされる。一巨石の下に三石周囲して匣(はこ)の形をした中に存したという。金印は郡奉行を介して福岡藩へと渡り、儒学者亀井南冥(かめいなんめい)は『後漢書』に記述のある金印とはこれのことであると同定したという。

形式・発見の経緯に不自然な点があるとして、近世に偽造された贋作であるとの説が、これまで幾度も唱えられてきた。考古学的にいえば、出土がこれほどまでに不明確なものは本来ならば史料として扱うのは困難である。それが、史料として扱われてきたのは、ひとえに、『後漢書』の「印綬」がこれであるという認識のみからに他ならない。


偽造説

(この項でホンモノ説、ニセモノ説が戦わされています。)



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