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zoom RSS 「権威者」は、偉ぶって威嚇して相手に質問させない

<<   作成日時 : 2014/08/28 20:43   >>

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日本経済新聞の8月28日「喪友記」に、8月16日に亡くなられた哲学者の木田元先生の思い出が記されていた。

木田元さんを悼む 器の大きい人 保坂和志

「ゼミの学生に、原書を正確に読むことを徹底的に指導した。『原書を正確に読めない学者は人間が悪くなる』と言った。どの分野でも物事を正確に理解していない人は、突っ込まれてボロを出すのが怖いから、偉ぶって威嚇して相手に質問させない。」


実に的確な指摘である。学術書を一冊理解しようとすれば、少なくとも5回は目を通さなければ自分のものにはできないと私は思っている。今までもそうしてきたし、今でもそうしている。人が見たら、なんと効率が悪いことかと思うかもしれない。でも、最初に読んだ時よりも2回目、2回目よりも3回目と当然のことながら理解度が上がってくる。また、頭の中のチャートに学術書の記述内容をプロットしていけるので、今までの知識と有機的に結びつけて理解できるようになる。

この有機的な結び付きから新たな発想が生まれてくる。過去の事実を事実としてそのまま暗記しているだけならば、最近よく言われているように、コンピュータの方がずっと上である。新たなものを想像する能力、そこにこそ人間の価値がある。そのためには、学術書(原書)をウンウンと苦しみながら読みこなす努力と忍耐が必要になる。その苦しみを乗り越えたとき、知識と知恵が獲得できる。

さて、会社にもその道の専門家(権威、オーソリティ)という方がいた。自らの知識に絶対的な自信を持ち、違った意見や事実が出てくると激しく攻撃する。私もこっぴどくその洗礼を受けた。入社当初、若気の至りで、新しい有機化合物の製造プロセスを開発してしまった時に、「そんなことは起こるはずがない、できるはずがない」というのがその理由であった。今思えば、オーソリティに理解できない方法を手に、その庭先に土足で踏み込み権威を傷つけてしまったようだ。実験結果は確固としたものであったが、自他ともに認めるオーソリティの逆鱗に触れた、この代償は大きかった。

さて、「権威」と「自信」は当然のことながら非なるものである。「権威」はそれを構成するための十分な要件が必要である。その上で自他共に認め合えて初めて権威である。「自信」は物事を進めていくときに、やれば出来るんだという、その感じである。自信と、そして勇気があればかなりの困難に立ち向かっていくことができる。「自信」は留まることなく常に歩み続ける姿勢でもある。「権威」などと思ってしまうと、そこで歩みが止まる。

私は「権威者」ではないが、ある意味「自信家」ではある。頑張れば、そして仲間がいれば、多少の困難には打ち勝ち、その過程で新たな英知が育まれると信じている。時代も、会社が置かれている環境も、変わった。科学技術は大きく進展し、ひとりの人間で対処できるものではなくなった。社員全員が持てるタレントを出し合い、目標に向かってひとつになる、そんな会社になった。当然、5W2Hも重視する。そうしなければ、価値あるものは作り出せない。そして、知恵と努力とひらめき、助け合い。権威が求められる割合は小さくなった。

保坂和志さんの一文より遥か昔の自分を思い出した。そして、今の私も、考え方が昔とあまり変わっていないことを再認識した。「権威」には程遠いが、少しでも前に進もうと今持って歩み続けているところである。



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