創造できる日本を取り戻すために、若者に何が必要とされているか?
教育のありかたと、個人の持つ才能や教育で得られた能力が活かされる社会には、次のような条件が必要ではないかと私は考えています。
1.記憶・アウトプット型より問題提起・解決型教育を
2.魚を与えるよりも、魚を取る方法を教える
3.物心ついた時より考える習慣を身に着けさせる
4.教師⇔生徒間、生徒⇔生徒間の交流の重視を
5.画一的な教育ではなく個性を重視する教育を
6.自信を持たせつつ継続できる教育システムを
7.才能に応じて教育が受けられるシステム作りを
8.他人の仕事や新発見を認める心と実力の教育を
9.価値を生むビジネスモデルが作り出せる能力を
2011年4月の私のノートより
余談ですが、人生は短い。短いからこそいかに有意義なものにしていけるかは、生き方そのものにかかっている。
スフィンクスの問
朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足
ポール・ゴーギャン
われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか
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1.記憶・アウトプット型より問題提起・解決型教育を
2.魚を与えるよりも、魚を取る方法を教える
3.物心ついた時より考える習慣を身に着けさせる
4.教師⇔生徒間、生徒⇔生徒間の交流の重視を
5.画一的な教育ではなく個性を重視する教育を
6.自信を持たせつつ継続できる教育システムを
7.才能に応じて教育が受けられるシステム作りを
8.他人の仕事や新発見を認める心と実力の教育を
9.価値を生むビジネスモデルが作り出せる能力を
2011年4月の私のノートより
余談ですが、人生は短い。短いからこそいかに有意義なものにしていけるかは、生き方そのものにかかっている。
スフィンクスの問
朝は4本足、昼は2本足、夜は3本足
ポール・ゴーギャン
われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか
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この記事へのコメント
今の大学生は就活でこのことを自問自答して企業に売り込むように就職コンサルタント?に洗脳されているようです。
小生が若い頃のことです。
日本に来たアメリカ人に聞いた話に、アメリカでは大学入学早々に一年生に上級生が肉体的試練(具体的な試練は忘れました)を課す、がありました。
その肉体的試練は、世界各地にあった(今でもある)「通過儀礼:initiation」に相当する新入生歓迎行事でしょう。
今の日本では「成人式」昔は武士階級の「元服など(女には裁縫技能)」があります。大学受験戦争も一種の通過儀礼かもしれませんが、この儀礼を通過しない者の方が多いので一般的ではありません。 戦前は徴兵検査軍隊体験が通過儀礼だったという意見に対しては女には通過儀礼が無かったということになります。
未開人?の刺青の風習は通過儀礼を経た一人前の男とか女の象徴の意味もあるそうです。
「通過儀礼」という言葉は最近死語と化しているように感じています。良かれと思ったことでも受け取り方は人により様々。「通過儀礼」≒「いじめ」?とは言いませんが、センシティブな世の中になったことは確かです。全員が一様に同じことを経験するなどはほぼ不可能な世の中に。綺麗な言葉で言うと「個性の時代」となります。
さて、日本人はかつて未開人であったか?
魏志倭人伝には次のような記述があります。
[倭国の様子](wikipediaの魏志倭人伝より)
「皆黥面文身」というように男子はみな顔や体に入れ墨し、墨や朱や丹を塗っている。(※黥面とは顔に入れ墨を施すことであり、文身とは身体に入れ墨を施すこと)
古くから、中国に来た倭の使者はみんな自らを大夫と称している。
夏(中国の王朝)の王の少康の子が、會稽に封ぜられた時、断髪して入墨をし、蛟(みずち)の害を避けたという。今、倭の漁師も好んで水にもぐって魚や蛤を捕り、身体に入墨をして大魚や水禽を避けていたが、後には飾りになった。
入墨は国ごとに異なり、あるいは左に右に、あるいは大に小に、階級によって差が有る。
この文を読む限り、刺青は帰属の証であったように思います。何歳になれば刺青を入れるということがはっきりしていれば「通過儀礼」ですね。
倭人伝の頃よりも身近な台湾の原住民やアイヌの刺青の方が現代ではその意味がより解り易いと思います。
前髪を垂らす(額を隠す)ことで子供を顕し前髪を切る(額を露す)ことで成人(一人前の人間)を公にする。一人前の人間の定義は共同体の通過儀礼を経たとか漁や機織が出来るなどがあります。
目には見えませんが、江戸時代にはよく名前を変えていたようです。2回や3回はざら? 親の名前を代々引き継ぐ襲名もあり。その家を引き継いだという証ですね。
ところが独創とか新発見を成し遂げた人たちは生まれつきの性格に因るけれど彼らの独創や新発見を支持した人たちのことは知られていません。
天才は1%の才能と99%の努力という諺は天才は99%の人たちからは認められないが1%の人に認められるとなります。
従って独創や新発見を期待できる若者を育てる無駄な努力をするよりも独創や新発見を積極的に支持する若者を育てる教育が望ましいです。
独創や新発見を積極的に支持する若者を育てる教育が望ましいです。
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これができるということは才能があるということですね。
生まれつきのものか、教育により得られたものかは別にして。