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zoom RSS 小学校の評価基準が「いじめや不登校の頻度」であって良いのか

<<   作成日時 : 2014/10/24 00:10   >>

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財務省は小学校1学級あたりの人数が、40人から35人となっても、いじめや不登校の改善が認められないから意味がないと言っている。確かに、もう一度40人クラスに戻せば、教師の人件費も減らせるし、教室の数も削減できるので、国の財政を助けるということではいいかもしれない。

だが、教育の本質とは一体何だろう。人は新しいことに接することに喜びを感じる。私の年齢になるとそう思うのであるが、小学生にとって教育とは同じ意味を持つのであろうか? 学校へ行って、先生にこれを覚えなさいと言われるだけでは、きっと学校へ行くことが嫌になるだろう。学ぶことの面白さを教えることも教育である。その面白さを伝えるためには、教師は全人格的に生徒と接しなければならない。

いじめはなぜ起こるのだろう。学校が面白くないから? 自分より秀でた部分、あるいは恵まれた部分を持っている生徒を疎ましく思うから?

不登校はなぜ起こるのだろう。学校が面白くないから? 学校に行かずにその日その日を刹那に生きている方が楽しいから?

昔、井戸水を汲み上げるのに手押しポンプを使った。一生懸命に押手を押しても水は出てこない。ポンプ本体に呼び水を注いでから押手を押すと、水が勢いよく出てくる。教育とは、この呼び水と同じではないだろうか。生徒(ポンプ)本来が持っている才能を引き出してやることが教育であり、知識を一から十まで教え込むことが教育であるとは思わない。学ぶことの喜びを教え、学び取る習慣をつけさせることが教育であると思う。

学ぶことの面白さに目覚めると、いじめや不登校の割合はぐっと少なくなるものと思う。また、学ぶためには教師に教えてもらう、本を読んで学ぶ、そして誰かに聞くなど、様々な手段を講じる必要が出てくる。そうすると、人間関係も自然に出来上がってくる。



NHK News Web  10月23日

財務省 35人学級を40人に戻すべき

公立の小学校で導入されている35人学級について財務省は、いじめや不登校などで目立った改善が認められないとして、40人学級へ戻すよう見直しを求める方針です。
これに対し文部科学省は、教育の質の向上などにきめ細かい指導体制が欠かせないとしていて、年末の予算案の編成で難航も予想されます。



日本の教育はまだまだ受身である。教えてもらったことを教えてもらった通りにアウトプットできる生徒が優秀な生徒である。このシステムを支えるためには小さなクラスである必要はない。たとえば、マンモス大学のマンモス教室においては、ひとつの教室に多くのTVモニターが設置され、多くの学生がただ聞くだけの講義を受けている。これも教育である。

西欧では、疑問を持ち、それを質問することにより知識を知恵へと昇華させていく。子供の時からそのような教育を受ける。何も疑問を呈しない生徒は天才であるか無能であるかのどちらかである。大学においても、少人数制のクラス編成で討議を通して学識と知恵を身につけていく。

日本の教育と西欧の教育は本質的に異なる。日本の教育方式に従えば、小学校の1クラスは40名といわずに50名にしても成り立つのではと思ってしまう。その前提として必要なのが、教師に学級崩壊を起こさせない統率力があるということである。

だが、今後ますます世界の荒波に揉まれて生きていかなければならない今の小学生は、それなりの知恵を身につける必要がある。そのための教育とはどうあらねばならないか? これがはっきりすれば、クラスの大きさは自ずと決まる。



私の2011年4月のノートより

教育の本質を問う。その本質によりクラスの大きさが決まる。

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文部科学省 学級規模の基準と実際(国際比較)

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
「親は無くても子は育つ」と言います。学校に重きを置き過ぎではないかと思います。

初等中等学校義務教育は良き国民(労働力や兵士)を錬成する場なので個人の資質(芸術学問競技)育成の場ではない。
匿名
2014/10/24 08:12
匿名様

私はこの「義務教育」という言葉の響きに問題があるのだと思っています。小学校の教諭も定められてことを定められた通りに教えるのが職務だと思っているフシがありました。最近は知りませんが、子供に教科書に載っている範囲外のことを教えたことがありますが、そのときは嫌な顔をされました。やってはいけないことだったようです。

畑啓之
2014/10/24 18:34
各教科には教科書の他に文部科学省制作の「指導要綱」という教師向けの教科書があります。教師は教科ごとにこの指導要綱に従って授業を行いその成果効果を試験により評価しなければなりません。

私立学校では幾分この制約は緩く独自の内を教えることが出来ますが容公立学校ではこの指導要綱を守らなければなりません。

余程の高偏差値の生徒でなければ教科書を越えた内容までをも理解することは難しいので教科書水準の教育を実践することが教師に義務づけられていることになります。

教師向けの指導要綱を売っている書店もあります。
匿名
2014/10/25 06:51
匿名様

「各教科には教科書の他に文部科学省制作の『指導要綱』という教師向けの教科書があります。」
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学校の先生もがんじがらめなのですね。生徒の質問に臨機応変に答えてあげることは難しそうですね。
畑啓之
2014/10/28 23:42

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