アルフレッド・ノーベルの人となり、業績、そしてノーベル賞設立への経緯
アルフレッド・ノーベルについてはWikipediaによくまとめられている。その概要を引用すると次のとおりである。
アルフレッド・ベルンハルド・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel, 1833年10月21日 - 1896年12月10日)は、ダイナマイトの発明で知られるスウェーデンの化学者、発明家、実業家。ボフォース社を単なる鉄工所から兵器メーカーへと発展させた。350もの特許を取得し、中でもダイナマイトが最も有名である。ダイナマイトの開発で巨万の富を築いたことから、「ダイナマイト王」とも呼ばれた。遺産をノーベル賞創設に使った。
目次 1 生涯 2 私生活 3 発明 4 遺産とノーベル賞 5 その他 6 脚註
7 参考文献 8 関連項目 9 外部リンク
遺言状には、物理学における発明・発見、化学における発見・改良に賞を与えると記されていた。つまり工学的貢献も念頭にあったと見られるが、科学と工学の区別については何も記されていなかった。
このアルフレッド・ノーベルの生涯を私なりにまとめた2011年4月のノートより、その一部をこのブログに転載した。ページ2~20である。ページ1は目次であるので、ここでは省略した。なお、下に示した図(ページ2~20)のPDF版はこちらにあるので、A4版の大きな図を見たい時には参照願いたい。
以下、ページごとに必要に応じて注釈を付けた。
ページ2
ページ3の書籍からの、ノーベルの人物像です。ノーベルが「頭痛持ちで」「陰鬱な性格であった」なんて、ノーベルにとってはあまり名誉なことではないですね。それに対して、語学ができ、文学への憧れを持っていたなんて、心理的「真面目さ」が感じられます。
ページ3
ページ4
ここからページ9までは、ノーベルの人生を年表にまとめてみました。ノーベル個人、家族、ノーベルを取り巻く社会、爆薬に関する技術、そしてノーベルの事業を切り口に、そのイベントを抜き出しています。イベントのなかで、ノーベルにとって重要と思えるものについては、色付けとしています。
ノーベルの父親は、ロシアで地雷工場を営み、ロシア軍に機雷を納めていたようです。当時は黒色火薬で、機雷に船舶が触れると、硫酸を入れたカラス容器が壊れ、黒色火薬が発火に至る原理であったようです。なお、父親は「ベニヤ板」の発明家でもあるようです。
ノーベルのダイナマイトの発明に至ったのは、父から受け継いだ知識がその発端となっているものと想像できます。ちょうどこの頃、ニトログリセリンが発明されたのですね。ただし、液状のニトログリセリンは、不安定で、ショックや経時変化(一部酸性化?)で爆発に至ったようです。
クリミヤ戦争
ページ5
文学青年にとって、17歳での失恋は心に大きな痛手を残したのかもしれません。
ページ6
いよいよダイナマイトの発明です。
ページ7
ゼラチン爆薬の説明はページ11にありますが、ニトログリセリンをニトロセルロースと樟脳で練固め、不意の爆発をなくしたものです。
43歳にときに、ノーベルの人生に大きな影響を与えた2人の女性が出現します。
普仏戦争
ページ8
無煙火薬パリスタイトを完成しています。「無煙」ですので発砲時に煙が出ず、戦場で位置が特定されにくいのが長所です。
ソフィーとの別れ(ページ15)、二度目の失恋相手ベルタ・ヤンスキー(ページ7)、結婚してズットナー婦人(ページ18)、と世界平和会議を傍聴する。おそらく、このズットナー婦人との出会いがノーベル平和賞の設立に深く関わっていると考えられています。
ページ9
ノーベルが1896年12月10日に急性狭心症で死す。ニトログリセリンが狭心症の特効薬であることを思えば、皮肉である。命日の12月10日はノーベル賞の授与日となっている。
死の淵で長編戯曲メネシスを書く。文学青年の夢には立ち難いものがあったのだろう。ノーベル文学賞が設けられた理由がここにあるのかもしれない。
ページ10
ノーベルの生涯は、その中心に爆薬技術と文学が来る。似つかわしくない両者が共存しているところが、ノーベルである。
南北戦争
ページ11
ノーベルの発明の系譜である。爆薬以外にも多くの発明を成した。
なお、ダイナマイトは現在は硝酸アンモニウム(NH4NO3)を基材とする爆薬、例えばアンホ爆薬、に取って代わられている。
文字が小さくて見にくいので、上図を左右に分けて拡大した。
ページ12
ノーベルの文学への造形の深さと執着を示している。
ページ13
ネメシスの印刷物は3部を残して破棄された。Following Nobel's death the entire printed edition was destroyed, except for three copies. その内容があまりにも悲観的と家族が受け取ったことによるのかもしれない。
ページ14
やはり2人の女性がノーベルの人生に大きな位置を占めている。
次男はロシアの石油王であったが、この油田はロシアに国有化されてしまった。
ノーベルはこの次男と会食するときも、その食事代は別々に支払われていたようである。幼少時に苦労したノーベル家の慎ましやかな生活態度を示すエピソードか。
ページ15
ゾフィーはWikipediaに出てきません。書く価値なしということでしょう。それにしても、慎ましやかな文学青年であるノーベルとはなんと対照的な女性であったのでしょう。人と人との関係とは、大なり小なりこのような要素を含んでいるものでしょうが、それにしても・・・。
ページ16
最もらしくまとめられています。どこまで信じるかは「読み手」の自由です。しかし、この話が17ページの「マイ・フェア・レディー」へとつながったことをノーベルが知ったとすると、文学青年であるノーベルがどんな顔をしたか? 容易に想像できるような気もします。
なお、マイ・フェア・レディとノーベルの関係については、日本語版Wikipediaにも、英語版Wikipediaにも一切触れられていませんので、念のため。
ページ17
ページ18
ノーベルに、ノーベル平和賞への着想が芽生え始める。やはりベルタ(ズットナー婦人)の影響が大きい。
ページ19
ノーベル賞に数学賞がないのは、ズットナー婦人の結婚相手が数学者だったからという、冗談めいた話(うわさ)もあります。
ページ20
ノーベル賞(Wikipedia)より、
遺言においてノーベルは、「私のすべての換金可能な財は、次の方法で処理されなくてはならない。私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子について、前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする」と残している。彼がこの遺言のために残した金額は彼の総資産の94%、3100万スウェーデン・クローナに及んだ[5]。
ノーベルがゾフィーに与えた(持って行かれた?)金額も225億円を下らないとされる(ページ15)。ノーベル賞の設立資金が250百万ドルなので、1ドルが100円とすると250億円となり(ページ15)、ゾフィーは凄まじい浪費家だったことになります。お金を稼ぎ出した人にしか、お金の価値がわからないということなのでしょうか。
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アルフレッド・ベルンハルド・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel, 1833年10月21日 - 1896年12月10日)は、ダイナマイトの発明で知られるスウェーデンの化学者、発明家、実業家。ボフォース社を単なる鉄工所から兵器メーカーへと発展させた。350もの特許を取得し、中でもダイナマイトが最も有名である。ダイナマイトの開発で巨万の富を築いたことから、「ダイナマイト王」とも呼ばれた。遺産をノーベル賞創設に使った。
目次 1 生涯 2 私生活 3 発明 4 遺産とノーベル賞 5 その他 6 脚註
7 参考文献 8 関連項目 9 外部リンク
遺言状には、物理学における発明・発見、化学における発見・改良に賞を与えると記されていた。つまり工学的貢献も念頭にあったと見られるが、科学と工学の区別については何も記されていなかった。
このアルフレッド・ノーベルの生涯を私なりにまとめた2011年4月のノートより、その一部をこのブログに転載した。ページ2~20である。ページ1は目次であるので、ここでは省略した。なお、下に示した図(ページ2~20)のPDF版はこちらにあるので、A4版の大きな図を見たい時には参照願いたい。
以下、ページごとに必要に応じて注釈を付けた。
ページ2
ページ3の書籍からの、ノーベルの人物像です。ノーベルが「頭痛持ちで」「陰鬱な性格であった」なんて、ノーベルにとってはあまり名誉なことではないですね。それに対して、語学ができ、文学への憧れを持っていたなんて、心理的「真面目さ」が感じられます。
ページ3
ページ4
ここからページ9までは、ノーベルの人生を年表にまとめてみました。ノーベル個人、家族、ノーベルを取り巻く社会、爆薬に関する技術、そしてノーベルの事業を切り口に、そのイベントを抜き出しています。イベントのなかで、ノーベルにとって重要と思えるものについては、色付けとしています。
ノーベルの父親は、ロシアで地雷工場を営み、ロシア軍に機雷を納めていたようです。当時は黒色火薬で、機雷に船舶が触れると、硫酸を入れたカラス容器が壊れ、黒色火薬が発火に至る原理であったようです。なお、父親は「ベニヤ板」の発明家でもあるようです。
ノーベルのダイナマイトの発明に至ったのは、父から受け継いだ知識がその発端となっているものと想像できます。ちょうどこの頃、ニトログリセリンが発明されたのですね。ただし、液状のニトログリセリンは、不安定で、ショックや経時変化(一部酸性化?)で爆発に至ったようです。
クリミヤ戦争
ページ5
文学青年にとって、17歳での失恋は心に大きな痛手を残したのかもしれません。
ページ6
いよいよダイナマイトの発明です。
ページ7
ゼラチン爆薬の説明はページ11にありますが、ニトログリセリンをニトロセルロースと樟脳で練固め、不意の爆発をなくしたものです。
43歳にときに、ノーベルの人生に大きな影響を与えた2人の女性が出現します。
普仏戦争
ページ8
無煙火薬パリスタイトを完成しています。「無煙」ですので発砲時に煙が出ず、戦場で位置が特定されにくいのが長所です。
ソフィーとの別れ(ページ15)、二度目の失恋相手ベルタ・ヤンスキー(ページ7)、結婚してズットナー婦人(ページ18)、と世界平和会議を傍聴する。おそらく、このズットナー婦人との出会いがノーベル平和賞の設立に深く関わっていると考えられています。
ページ9
ノーベルが1896年12月10日に急性狭心症で死す。ニトログリセリンが狭心症の特効薬であることを思えば、皮肉である。命日の12月10日はノーベル賞の授与日となっている。
死の淵で長編戯曲メネシスを書く。文学青年の夢には立ち難いものがあったのだろう。ノーベル文学賞が設けられた理由がここにあるのかもしれない。
ページ10
ノーベルの生涯は、その中心に爆薬技術と文学が来る。似つかわしくない両者が共存しているところが、ノーベルである。
南北戦争
ページ11
ノーベルの発明の系譜である。爆薬以外にも多くの発明を成した。
なお、ダイナマイトは現在は硝酸アンモニウム(NH4NO3)を基材とする爆薬、例えばアンホ爆薬、に取って代わられている。
文字が小さくて見にくいので、上図を左右に分けて拡大した。
ページ12
ノーベルの文学への造形の深さと執着を示している。
ページ13
ネメシスの印刷物は3部を残して破棄された。Following Nobel's death the entire printed edition was destroyed, except for three copies. その内容があまりにも悲観的と家族が受け取ったことによるのかもしれない。
ページ14
やはり2人の女性がノーベルの人生に大きな位置を占めている。
次男はロシアの石油王であったが、この油田はロシアに国有化されてしまった。
ノーベルはこの次男と会食するときも、その食事代は別々に支払われていたようである。幼少時に苦労したノーベル家の慎ましやかな生活態度を示すエピソードか。
ページ15
ゾフィーはWikipediaに出てきません。書く価値なしということでしょう。それにしても、慎ましやかな文学青年であるノーベルとはなんと対照的な女性であったのでしょう。人と人との関係とは、大なり小なりこのような要素を含んでいるものでしょうが、それにしても・・・。
ページ16
最もらしくまとめられています。どこまで信じるかは「読み手」の自由です。しかし、この話が17ページの「マイ・フェア・レディー」へとつながったことをノーベルが知ったとすると、文学青年であるノーベルがどんな顔をしたか? 容易に想像できるような気もします。
なお、マイ・フェア・レディとノーベルの関係については、日本語版Wikipediaにも、英語版Wikipediaにも一切触れられていませんので、念のため。
ページ17
ページ18
ノーベルに、ノーベル平和賞への着想が芽生え始める。やはりベルタ(ズットナー婦人)の影響が大きい。
ページ19
ノーベル賞に数学賞がないのは、ズットナー婦人の結婚相手が数学者だったからという、冗談めいた話(うわさ)もあります。
ページ20
ノーベル賞(Wikipedia)より、
遺言においてノーベルは、「私のすべての換金可能な財は、次の方法で処理されなくてはならない。私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子について、前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする」と残している。彼がこの遺言のために残した金額は彼の総資産の94%、3100万スウェーデン・クローナに及んだ[5]。
ノーベルがゾフィーに与えた(持って行かれた?)金額も225億円を下らないとされる(ページ15)。ノーベル賞の設立資金が250百万ドルなので、1ドルが100円とすると250億円となり(ページ15)、ゾフィーは凄まじい浪費家だったことになります。お金を稼ぎ出した人にしか、お金の価値がわからないということなのでしょうか。
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この記事へのコメント
ズットナー夫人との会話
すべてを破壊する爆薬があればどの国も戦争をしなくなるだろう。
原子爆弾はすべてを破壊するけれども使用されることなく抑止力の飾りになりました。
セルロイドはニトロセルロースと樟脳を練り合わせたものです。セルロイドに火をつけるとよく燃えました。