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zoom RSS あなたの苗字や名前はどこに多く分布している このサイトが面白い

<<   作成日時 : 2014/11/01 21:32   >>

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姓名分布&ランキング(母数2338万人)というサイトが面白い。苗字あるいは姓名を入れると、全国で何人いるか、そしてその分布はどうなっているかを教えてくれる。

苗字には長い歴史が凝縮されている。なぜ私の家の苗字はその苗字なのか? 勿論、先祖がその苗字を名乗っていたから今の苗字がある。こう言ってしまえばそれまでだが、苗字にはきっともっと深い何かがあり、それを紐解いていくと日本の歴史が見えてくるような気もする。

韓国の苗字はおよそ250種類であるが、日本の苗字は星の数ほどある。そのなかには藤原何某からの由緒ある苗字もある。あまりに藤原姓が多かったために、これを識別するために、□藤と□の部分に種々の漢字をあてこみ、新たな苗字を作ったともある。例えば藤原氏(Wikipedia)では次のようになっている。

藤原氏由来の苗字[編集]

藤原氏に由来する苗字(名字)の代表例を以下に示す。ただしこれは苗字の由来であって、その苗字だから藤原氏の子孫とは限らない。つまり藤原氏の子孫の伊藤氏や加藤氏もあれば、藤原氏とは関係がない伊藤氏や加藤氏もある。また、藤を「とう」と読まない場合もある[4]。

国名に由来 安藤 - 安房国
伊藤 - 伊勢国・伊豆国
江藤 - 近江国
遠藤 - 遠江国(遠江守)
加藤 - 加賀国(加賀介)
紀藤 - 紀伊国
後藤 - 備後国
近藤 - 近江国(近江掾)
佐藤 - 佐渡国
尾藤 - 尾張国(尾張守)
武藤 - 武蔵国(武蔵守)

役職名に由来 衛藤 - 衛府
工藤 - 木工寮頭、木工助
近藤 - 近衛
左藤・佐藤 - 左衛門尉、佐(すけ)など律令制の役職との合体
斎藤 - 斎宮寮頭
進藤 - 修理少進
内藤 - 内舎人、内蔵助
武藤 - 武者所

地名に由来 佐藤 - 佐野
須藤 - 那須

その他 後藤 - 藤原氏後裔[4]
春藤 - 春日
神藤 - 諏訪神家
藤重 - 藤原氏の繁栄を祈願


十六藤 (じゅうろくとう) - 特に以下の16の名字を総称して指す言葉(読みは「とう」または「どう」、人口の多い順)。
佐藤、伊藤、斎藤、加藤、後藤、近藤、遠藤、工藤、安藤、内藤、須藤、武藤、進藤、新藤、神藤、春藤


江戸時代になると、武士は苗字を持っていたが、町民(農工商)で苗字をもつものは少なかった。大庄屋や、城主への貢献が認められたものなど、一部に苗字帯刀が許されていたものと思われる。明治になると、すべての国民が苗字を名乗るようになる。その時にどのような苗字を名乗るようになったか、その経緯がわかれば家の歴史を読み解く上でも助けになるものと思う。

私が生まれ育った町(町といっても非常な田舎、私が生まれた時にはまだ「村」であった)では、約300軒中の約70軒が私と同じ「畑」という苗字である。ただし、同じ「畑」といっても家紋はそれぞれである。この家紋をグループ分けし、歴史を遡っていくと村の歴史が見えてくるものと思う。私が思っている結論としては、庄屋が「畑」と名乗っていて、それに合わせたのではないかということだが、定かな証拠はない。しかし、近くの村々を見てもそれぞれを代表する苗字が有り、苗字を聞くとその人がどこの村の出身であるかわかる。庄屋苗字説はあながち間違いではないと思う。(例外もある。以前のブログで紹介した兵庫県黍田村の庄屋小倉姓は電話帳では17軒あるにもかかわらず、墓所を確認したところでは家紋が一つのみである。)

追加情報として、私が生まれた村には「畑」の他に「秦」と「畠」が入り乱れている。このあたりは、兵庫県国包(くにかね)の苗字に記した。この時の調査は名前由来netに依っている。なぜ「畑」と「秦」と「畠」が入り乱れているのか、なぜそうなったのかは今となっては誰にもわからない。上で示した藤原氏と同じく、何らかの識別をする必要があったのか、あるいは地の庄屋が嫌いであったのか。想像すると面白い。

姓名分布&ランキングでの畑姓の分布を記す。下は、兵庫県内における分布であり、星印を付けたところが加古川市である。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
「畑」と「秦」と「畠」
ーーーーーーーーーーーーーーー
★ 脱線です。

田が元になって焼畑の火+田が畑に、そして白+田で畠になりました。
その他には水+田で沓(日と田の違いがあるのが難点ですが)

これら、畑も畠も沓も日本や朝鮮の造語で元の中国には無い文字です。中国に在るのは畔を現す田の文字だけです。従って田の文字は中国漢字では水田や稲作とは関係ない文字です。

秦は由緒ある苗字(文字)で日本では千年余りの歴史がありますね。
匿名
2014/11/02 19:30
匿名様

「畑」は国字ですので、中国への出願時にどう記したものかと問題になります。中国文字にないのですから。おっつけ、「火田」としたり、あるいは発音が「ハタ」に似ている感じの組み合わせになったりと、まことにややこしいことになります。アルファベットなら「Hata」でThat's all.なのですが。


「秦」姓は秦河勝からですね。

日本に帰化した人物のなかでは秦河勝(はたのかわかつ)が有名です。秦氏は約1400年前に、奈良、大阪、京都で隆盛を誇りました。そして、秦河勝は兵庫県の相生(あいおい)、ここは兵庫県の西部に位置し赤穂浪士で有名な播州赤穂の東側に隣接する、で死去したと伝えられています。一説には流罪に遭ったためともいいます。相生近くの坂越浦に面して秦河勝を祭神とする大避神社が鎮座し、神域の生島には秦河勝の墓があります。この秦氏の子孫が脈々とつながっていれば、近畿に秦姓が多いことになる。実際に調べてみると、結果は上に示すように、秦姓は全国に散らばっていることがわかります。

畑啓之
2014/11/02 20:27
徳川時代には、人口の大部分の農民は姓が無く住所の村や集落名を名に冠していました。商人や職人は屋号を名に冠していました。姓を代々有するのは武士階級のみで、「苗字帯刀」そのままでした。

明治以降になって全国民が苗字を許され(造るよう強制され)たが、今でも、苗字で「それと解る」徳川時代の身分を彷彿させる苗字(差別民や職業など)を持たされた人たちも居ます。

秦姓が多いからといって全員が秦河勝の子孫とは限らないと思います。秦河勝と同時に渡来し帰化した大勢の人たちも居たはずですから。


匿名
2014/11/03 07:48
匿名様

明治以降になって全国民が苗字を許され(造るよう強制され)たが、今でも、苗字で「それと解る」徳川時代の身分を彷彿させる苗字(差別民や職業など)を持たされた人たちも居ます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
確かにおっしゃるとおりで、歴史が苗字に凝集されていることもあります。明治維新といえども、封建制度が色濃く残っていたのでしょう。
畑啓之
2014/11/03 09:25

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