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zoom RSS 地震予知 「雉も鳴かずば撃たれまい」ではダメなのだが・・・・

<<   作成日時 : 2014/11/11 20:37   >>

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2009年4月のイタリア中部ラクイラ大地震の直前に大地震は来ないとの「安全宣言」を出した担当者を、過失致死罪に問う第二審裁判は、第一審の有罪から逆転勝訴(無罪)となた。ただし、イタリアは日本と同じく三審制であるので、まだ最終判決はわからない。

ここで、次の疑問が生じる。

常に「地震が来る」と言い続けていればこのような裁判に巻き込まれることはない。平穏無事な学者生活、公務員生活を全うすることができる。このブログ(GPSデータを利用して地震予知 言われてみれば「コロンブスの卵」 (6月27日))に記したように、日本地震学会は東日本大震災を言い当てることはできなかった。その後、学会は地震予知は不可能との見解を示した。何も言わない場合にも日本では責めを負うことはない。

もう少し話を発展させて、広島での土砂災害や御嶽山の噴火による不幸な事故でも、警報を出すのが遅れたり警報を出していなかったりした。この場合も日本ではセーフである。

一方、天気予報では常に注意報や警報、特別警戒警報を出し、こちらは重装備となっている。何も起こらなければ「よかったね」ということである。多少の過剰防衛であるが、これを責める人は誰もいない。

こうして見てくると、つねに「狼が来る」といっているか、「沈黙を決め込む」かは、訴訟に対してはセーフ。日本の場合にはこの「沈黙」の延長線上に「警報の出し遅れ」があるのでこれもセーフということになりそうだ。

ただし、日本の場合もイタリアと同じく、安全でないものを安全といった時には、国民感情として訴えられる可能性があるものと思う。そうすると、危険を察知しながらも確信が持てない場合にはだんまりを通す。これはセーフ。この姿勢が横行すると典型的なモラルハザードの蔓延となってくる。

気象庁の天気予報を見習って、少しでも危険を感じたら危ないといい、危険が去ってもしばらくは警報を持続させる。事安全についてはそのような配慮が必要なのかもしれないと、イタリアの裁判記事を見て感じた。



ラクイラ地震(Wikipedia)

安全宣言を出した委員会メンバー7人(行政官2人、学者5人)は過失致死でラクイラ地方裁判所に起訴された。2012年9月25日に7人全員に禁錮4年が求刑され、10月22日に求刑を上回る6年の実刑判決が出された[31]。地裁は判決理由で、学者が「メディア操作」を図る政府に癒着し従ったと批判した[32]。



毎日新聞 2014年11月11日 11時11分

イタリア:地震学者ら逆転無罪に 実刑の1審判決破棄

 2009年4月のイタリア中部ラクイラ大地震の直前に出された「安全宣言」が犠牲の拡大を招いたとして地震学者ら科学者6人が過失致死傷罪に問われた裁判で、ラクイラの高裁は10日、禁錮6年を言い渡した12年10月の1審地裁判決を破棄し、逆転無罪の判決を出した。

 技術的に困難とされる地震予知を巡り、科学者の刑事責任を問うことができるのかどうかが裁判の焦点で、1審有罪判決後、内外の科学者から判決の妥当性を疑問視する声が出ていた。

 マグニチュード(M)6.3のラクイラ大地震では309人が死亡した。大規模災害のリスクを評価する委員会は大地震の5日前に一帯で観測されていた群発地震について、「通常の地質学的現象」と位置づけていた。



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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
あくまで予報というか予想なので当たり外れは五分五分と割り切るのが良いようです。

人生は一寸先は闇でそれが人生さと笑ってみる他ないさ。
匿名
2014/11/11 21:38

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