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zoom RSS 愚かな表現から愚かさしか読みとれないのは、読み手の愚かしさの証である

<<   作成日時 : 2015/04/12 00:04   >>

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タイトルはある本に出てくる一文である。この言葉を心の中より消し去ろうとするが消えることはない。

賢明である、あるいは賢い。いろんな賢さや頭の良さがあり、定義もさまざまであるが、愚かさはこの対極をなすもので、多くの類似語を示さなくてもその状態や状況が理解される。

タイトルの文章の表現は意味深長である。「愚かな表現から」と言ったとたんに、その表現が愚かであると認識している主体がそこにいる。私自身がすでにその表現が愚かであると認識しているわけである。それにもかかわらず、「その表現から愚かさしか読み取れないのは」と続く。ここで、ある意味、矛盾あるいは葛藤が起こっている。

文章の流れからすると、何の葛藤も起こさずにその表現は愚かであると判断を下してしまえば、その読み手は愚かであり、愚かに見える表現にも何らかの引っ掛かりや疑問をもってその表現の奥に秘められた真実を見出そうとする読み手は、努力した分、愚かしさからの距離があるということとも理解される。

日常において、こういうシーンにめぐり合う機会は多く、そのたびに自分の今までの経験や人生観だけで判断することの危険さに警鐘を鳴らしていると感じられる。また、日常のささいな出来事の中にも真実を見出していく態度が、ことを極め深めていくために大切であるといっているとも感じられる。

話は飛ぶが、昔、上司からよく言われたのは「特許を書く場合には、本質を外さず、ただし実施してもその通りにはいかない特許を作成すること」であった。簡単に言ってしまえば「理屈はあっているが実施不可能」ということである。当社だけでなく、世間一般にこのように言われていた時代の話である。この特許ならば「愚かな表現」ではない。

この話がさらに進むと(進化ではない)、「読んでも内容がわからないように、しかし、ちゃんと権利が取得できる特許を作成して出願すること!」となる。これを聞いた時にはびっくりした。文系の私の上司は、まさにタイトルのごとく「愚かな表現から愚かさしか読みとれないのは、読み手の愚かしさの証である」を実践していたのである?


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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
バカの壁のことかな?
匿名
2015/04/12 07:00
匿名様

「ばかげたこと」と「愚かなこと」は当然に異なる事柄です。私(達)は自分自身の常識で物事を判断していますが、この常識というものが実に怪しい。100人いれば100の常識がある。「愚かな表現から」とあるのは「読み手が愚かと受け止める表現から」と受け止めるべきか。そうすると、私の3次元世界から4次元は見えないということになる。
ある「事実」や「思想」が発表されるからには、そこに傾聴すべき何かがあるということだろう。一刀両断にそれを「否定」していては進歩への端緒が否定されてしまうことになる、とわたしは理解した。
畑啓之
2015/04/12 11:24
「ばかげたこと」「愚かなこと」と断定しかねる時は「そうかもしれない」「そうでないかもしれない」と結論を保留して「なぜそのようなばかげたまたは愚かな言い回しをしているのか?」を追及すれば良いのでは?

紛らわしい曖昧な言い回しは真相(嘘が多い)を誤魔化すことが動機と思えば間違いないです。



匿名
2015/04/12 20:02

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