「質問しない国は亡びる」「考えることを教えねば」と無着成恭は言うが、時代は変わった??

日本経済新聞10月22日夕刊5面のタイトルである。

バブル崩壊前までは子供たちは無着を困らせるような素朴な質問「なぜ?なぜ?」を繰り返し、そのたびに先生は現場を実際に確認して子供たちにその答えを示した。たとえば、「煙突から出る煙の色はなぜいろいろと違う色があるの?」

だがバブル期以降その質問の内容が大きく変わったという。コンピュータで調べればわかる質問を投げかかられることが多くなったと。



確かに最近はコンピュータで調べればほとんどのことがわかる時代になった。かつての子どもたちの質問も、親御さんがコンピュータでチョチョイと調べればすぐに答えにたどり着く。私も、その安直さのゆえに、深く考える過程,悩みながら答えにたどり着くプロセス、が省略された世の中になったように感じている。

問題の自己提起から、その問題解決に向けての自己の努力、そして解決に至った時のその喜び。問題が難しければ難しいほど、それが解決した時の喜びは大きい。最近はコンピュータで調べれば答えがすぐにわかる。コピペ横行の温床である。そして、コンピュータでもわからない答えは、私に分かるはずがないという諦め。

確かに、これでは日本の国は亡びる。最近入社してくる修士課程出の新入社員たちはめっきりと質問することが少なくなった。わかっているのやら、いないのやら。実につかみどころがない。質問を投げかけてもリアクションが少ない。

質問の仕方に問題もあることとは思うが、日本の国の行く末に私も一抹の不安を感じる。ノーベル賞は昔の業績に対して与えられる賞だ。20年後、30年後の日本は今の20歳代が担う。


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(メモ)

日本経済新聞 10月23日朝刊

1面  水道 企業の参入後押し 来年にも法改正
     料金改定柔軟に 災害時復旧 負担を軽く



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この記事へのコメント

匿名
2016年10月28日 13:47
何も質問しない話さないのは何も考えていない頭が空っぽだからと欧米人は断定します。
彼等は壱を聞かれれば参以上答得ることが出来なければ無能と見做される世界で育っています。煩い連中と言えばそれまでですが。。。

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