化学元素の周期律表を1869年に発表したロシアの科学者 メンデレーエフはなぜ有名になったのか?
本日のブログは、技術士一次試験・基礎科目の全356問解答集の中のE20(技術史)問題、H28年Ⅰー5-6中のメンデレーエフに関する。
メンデレーエフという名前は、高校の化学の授業で必ず最初のころに出てくる。この名前は一度は聞いたことがあると思う。今年(平成28年度)の技術士一次試験・基礎科目の科学史を問う問題(Ⅰ-5-6)でも出題された。
メンデレーエフが発表した周期律表とはどんなものだったのか。今は私たちは長周期律周率期表をありがたく利用している。最近ではニホニウム(Nh、原子番号113)が正式に登録され、多くの元素が周期律表に規則正しく並べられている。しかし、メンデレーエフが周期律表を発表した時(1869年)に知られていた元素の数は今よりもはるかに少なかった。その当時に、メンデレーエフが周期律表を作成するために書き記したメモが次の図である。
1869年に発表した最初の周期律に改良を加えた1871年の周期律が次の図である。この時はまだ希ガスが発見されていなかった(希ガスの発見は1989年)ので周期律表はⅠ~Ⅶ族で構成されている。
これは短周期の周期律表である。私の高校のときに利用されていたのもこの短周期周期律表であった。最近は長周期周期律表を用いるのが普通となっている。(周期律表(Wikipedia)を参照のこと)
さて、メンデレーエフの周期律表がなぜ注目を集め、その功績が認められるようになったか?
エカアルミニウム、エカケイ素の密度を正しく予言したからである。エカという接頭語は~の下にあるということを意味し、周期律表でアルミニウムの下にあるものをエカアルミニウム、ケイ素の下にあるものをエカケイ素と言っている。Wikipediaでエカアルミニウム、エカケイ素と入れると、それぞれガリウム、ゲルマニウムがその検索結果として表示される。
エカアルミニウム(ガリウム)は1875年にフランスの化学者ルコッコ・ド・ボアボードラン(Wikipediaに写真あり)により発見された。しかし、発表されたエカアルミニウムの密度はメンデレーエフが推算した5.9とは違って4.7と小さなものであった。
メンデレーエフはボアボードランに手紙を書く。「親愛なる同僚よ。多分、あなたは、ナトリウムを使ってあなたの金属を単離したと思うのだが、そのナトリウムによって金属が汚されているためだと、私は推察する。」この手紙を受けてボアボードランは金属からナトリウムを取り除く努力を払い、その結果、密度は5.935とメンデレーエフの予言通りとなった。この快挙によりメンデレーエフの周期律表は注目を集めることになった。
エカケイ素(ゲルマニウム)も1885年に発見され、密度を含む性質がメンデレーエフが周期表に基づいて予想したエカケイ素の性質とよく一致し、メンデレーエフの周期表の完成度の高さを示した。
メンデレーエフはエカアルミニウム、エカケイ素の密度をどのように推算したのか? 興味が持たれるところである。
メンデレーエフ当時に知られていた元素とその密度は次のようである。
エカアルミニウムとエカケイ素はこの時はまだ発見されていなかったので、密度は空白である。
次の図は周期律表の並びの順(周期律表の横方向、右側の図)と周期律表の同じ族の並び(周期律表の縦方向、左側の図)で、わたしなりにエカアルミニウムとエカケイ素の密度を推算しようとした結果である。どちらの試みも失敗している。だが、両者で得られた値を足して2で割ると、メンデレーエフの推算値に近い値となった。
なお、短周期律表で、エカアルミニウムやエカケイ素を取り囲むおのおの4つの元素の密度を足して4で割る方法でも失敗であった。
メンデレーエフは本当に「縦横の推算値を足して2で割る方法」で密度を予想していたのであろうか? もっと別の方法があるのでは?? Web上で調べては見たが、推算法に関する記述はまだ見出していない。
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メンデレーエフという名前は、高校の化学の授業で必ず最初のころに出てくる。この名前は一度は聞いたことがあると思う。今年(平成28年度)の技術士一次試験・基礎科目の科学史を問う問題(Ⅰ-5-6)でも出題された。
メンデレーエフが発表した周期律表とはどんなものだったのか。今は私たちは長周期律周率期表をありがたく利用している。最近ではニホニウム(Nh、原子番号113)が正式に登録され、多くの元素が周期律表に規則正しく並べられている。しかし、メンデレーエフが周期律表を発表した時(1869年)に知られていた元素の数は今よりもはるかに少なかった。その当時に、メンデレーエフが周期律表を作成するために書き記したメモが次の図である。
1869年に発表した最初の周期律に改良を加えた1871年の周期律が次の図である。この時はまだ希ガスが発見されていなかった(希ガスの発見は1989年)ので周期律表はⅠ~Ⅶ族で構成されている。
これは短周期の周期律表である。私の高校のときに利用されていたのもこの短周期周期律表であった。最近は長周期周期律表を用いるのが普通となっている。(周期律表(Wikipedia)を参照のこと)
さて、メンデレーエフの周期律表がなぜ注目を集め、その功績が認められるようになったか?
エカアルミニウム、エカケイ素の密度を正しく予言したからである。エカという接頭語は~の下にあるということを意味し、周期律表でアルミニウムの下にあるものをエカアルミニウム、ケイ素の下にあるものをエカケイ素と言っている。Wikipediaでエカアルミニウム、エカケイ素と入れると、それぞれガリウム、ゲルマニウムがその検索結果として表示される。
エカアルミニウム(ガリウム)は1875年にフランスの化学者ルコッコ・ド・ボアボードラン(Wikipediaに写真あり)により発見された。しかし、発表されたエカアルミニウムの密度はメンデレーエフが推算した5.9とは違って4.7と小さなものであった。
メンデレーエフはボアボードランに手紙を書く。「親愛なる同僚よ。多分、あなたは、ナトリウムを使ってあなたの金属を単離したと思うのだが、そのナトリウムによって金属が汚されているためだと、私は推察する。」この手紙を受けてボアボードランは金属からナトリウムを取り除く努力を払い、その結果、密度は5.935とメンデレーエフの予言通りとなった。この快挙によりメンデレーエフの周期律表は注目を集めることになった。
エカケイ素(ゲルマニウム)も1885年に発見され、密度を含む性質がメンデレーエフが周期表に基づいて予想したエカケイ素の性質とよく一致し、メンデレーエフの周期表の完成度の高さを示した。
メンデレーエフはエカアルミニウム、エカケイ素の密度をどのように推算したのか? 興味が持たれるところである。
メンデレーエフ当時に知られていた元素とその密度は次のようである。
エカアルミニウムとエカケイ素はこの時はまだ発見されていなかったので、密度は空白である。
次の図は周期律表の並びの順(周期律表の横方向、右側の図)と周期律表の同じ族の並び(周期律表の縦方向、左側の図)で、わたしなりにエカアルミニウムとエカケイ素の密度を推算しようとした結果である。どちらの試みも失敗している。だが、両者で得られた値を足して2で割ると、メンデレーエフの推算値に近い値となった。
なお、短周期律表で、エカアルミニウムやエカケイ素を取り囲むおのおの4つの元素の密度を足して4で割る方法でも失敗であった。
メンデレーエフは本当に「縦横の推算値を足して2で割る方法」で密度を予想していたのであろうか? もっと別の方法があるのでは?? Web上で調べては見たが、推算法に関する記述はまだ見出していない。
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