1年前の今日  「こんにちは」に⼀瞬の⼾惑いを感じるほどにあいさつは希薄化している?

1年前の今日  2019年7月16日

昨年の今頃であったろうか。兵庫県を通るJR加古川線のとある小さな駅で下車すると、短い家並みが続くそこはこじんまりとした町であった。その駅より鉄道に沿って北に向かって延びる細い道に従って10分くらい進んだ。ほぼ家並が消えかかるところまで来たとき、一人で歩いて来る小学生の女の子がすれ違いざまに「こんにちは」とあいさつをした。急なことなので、こちらもぎこちなく「こんにちは」。またそのまましばらく歩いていくと数人の小学生の群れがすれ違いざまにまた全員が「こんにちは」。一種のカルチャーショックである。加古川(兵庫県南部、瀬戸内海に面した町)に住んでいるとこのようなことは絶対にない。

山中を歩くと、登山者はすれ違う時に「こんにちは」とあいさつする。これは人の希薄な山中において「私は決して怖い存在ではありません。私はあなたに危害を加えることはありません」との意味合いが強い。日本の山中で強盗事件が起こらないのにはこの挨拶がその役割をある程度は果たしているのかもしれないが、最近は金品を持って山歩きをする人はいないというのがその答えだろう。江戸時代であれば、金品を身につけての山越えなどでは、おなじみの山賊の出現であった。

人気のない、この田舎道で小学生の少女が私に「こんにちは」と声をかけたのは、「私に危害を加えないでね」との意味を含んでいたのだろうか? ここまで考えると、心が貧しくなってしまう。素直に気持ち良いあいさつに、そしてその挨拶をする勇気にエールを送るべきだろう。黙ってすれ違っただけでは、その少女の姿は心には残らない。人と人とのつながりの第一歩としてあいさつがある。そう考えると、あいさつは自己を外界へと、周りの人々へと解き放ち、結び付ける魔法の呪文である。

少女の通う小学校においてかなりしっかりとした「挨拶教育」が行われていることは想像に難くない。ただし、学校の内と外は別の世界であり、行動のためのルールが異なるのが一般的である。しかし、この町の小学生たちは、校門を出た後もしっかりと学校内でのルールの延長線上で行動している。そこには、学校の先生方がしっかりと根付かせた活きたあいさつがあることは想像に難くない。

私の住む加古川市ではありえないこの別世界に、そのときは一瞬とまどいを感じたが、後々、これが人のあるべき姿である、と思った次第である。




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