1年前の今日  「⻲之碑」は⽔に深く関係する 稲美町の広⾕池横に新たな「⻲」を発⾒した

1年前の今日  2019年7月18日


多くの写真あり



亀に耳があるのは不思議? そう思っていたら案外そうでもないようだ。浦島太郎の亀にも耳が付いている。2019年5月25日のブログで示した国包の亀之井の碑が特別である、と言うこともなさそうだ。Webで探すと前回のブログの亀も含めて、そんなに多くはないが耳がある亀が見い出せる。

今回あらたに見つけた亀之碑は稲美町の広谷池横にあるものだ。母里小学校の近くである。広谷池の増築記念として明治33年に立てられた碑である。やはり水回りの安全を願ってのものか。

この碑文の読み下し文は、疏水博物館のWebにあった。国包の碑文もこのように読み下し、誰もが見られるようにすれば、先人の努力が広く認識され、より一層の感謝の心が沸いてくることと思た。




本亀之碑は明治33年に立てられたもので、疏水博物館のホームページにその全文が載っている。漢字にはルビが振ってあり、下の文章では漢字の後ろにそのルビが続いて示されている。

淡山疏水・東播用水博物館のホームページ
http://www.inamino-tameike-museum.com/pdf/08_10/010.pdf

広谷池増築紀念碑 本村は高燥こうそう にして水乏し。明治めいじ 戊辰 ぼしん 前後、凶旱きょうかん 頻 し き りに臻 い た り、園圃えんぼ 荒蕪 こうぶ す。 加 之 しかのみならず 改正地租の賦課ふ か 偏重 へんちょう にして負荷に耐へず。往々地を売り租を償ふ。又納租する能あ た はず、遂に其の地を公売せらる。貧人は窮困し東西に流離、戸口ここう 減少、衰頽すいたい 殆ど ほとんど 極れり。村を挙げて疾苦し、百方ひゃくかた 恢復 かいふく を企図す。頻り しきり に水源を探求し、十数里の 山河を跋陟 ばっしょう す。初め山田川を引くの企 くわだ て有りと雖 いえど も、其の通水線は山脈起伏し、 施設甚 はなは だ難く中止す。更 あらた めて淡河川を引くの議、起る。明治二十一年一月、本村 印南新村外二十個村普通水利組合會を組織し、大いに水利を興 お こ す。此の事業の作 おこり なり。本村字蛸草新村岩本須三郎氏、松尾嘉一郎氏首唱す。同村所在字廣谷池を増築して其の水利を引き、其園圃を開 墾し以 も っ て稲田 いなだ と為さんと欲 ほ っ す。之を関係者に謀 は か るに関係者異口同音に之を賛称 さんしょう す。因 よ りて二十一年五月、更に会議し、 本池増築の計画を為す。同年九月、委員を選擧し、松尾氏、吉岡岩藏氏当選す。其の当時岩本氏本村戸長 こちょう を為す。委員 と相共に担当して之の設備を為す。然 し か り而 しこう して其の将 ま さ に増築を為さんとするの地は、則 すなわ ち村社 そんしゃ 、学校、村役場、県道、 官林、墓地、民有家屋、田圃 でんぽ 等、犬牙錯雑 けんがさくざつ 、障碍多端 しょうがいたたん にして調理頗 すこぶ る難 か た し。戸長 こちょう 、委員、焦心苦慮 しょうしんくりょ し、 屢 しばしば 、政庁に請 願し、又地主と協商す。措置公正なるも尚 な お 苦情休 や ま ず。遂に土地収用法を行うに至る。之が為に遷延 せんえん 三年を経て漸 ようや く結了 けつりょう す。其の要敷地は、官地三町七反三畝七歩、民地六町一反九畝二拾歩、元溜池 もとためいけ 五町七反三畝九歩、合計十五町六反六畝 六歩なり。二十四年三月、法律に依 よ り、更に本池普通水利組合会を組織し、議員十二名を選挙す。村長岩本氏管理者と 為り、助役伏川熊次郎氏之を補佐す。而して委員、元の如く此より工費を審議す。同年四月一日、起工す。蓋 け だ し此の工 事は農暇 のうか を以って施行するなり。此の施行中は、則 すなわ ち委員勤勉たり。自ら率 そ つ して手に縄墨 じょうぼく を執 と り、地を丈 は か り水を測る。 松尾氏最も克 よ く励精 れいせい す。其の堤防の経營、閘門 こうもん の配置、溝澮 こうかい の新設等、凡 お よ そ工事の細大与 あずか り知らざるは無し。議員も亦 ま た 代るがわる出でて委員を佐 た す け、工場を監督し、役者 えきしゃ して率先して親しく其の業 わ ざ を執る。而 しこう して此の工役 こうえき する者は則 すなわ ち挙 村壮丁 そうてい 老小相共に競ひ励み克 よ く其の役に服せり。其の堤防の新築に係るは三百四十五間、修築に係る六百七十間。而 しこう し て其の新設の堤防敷地、則 すなわ ち中央十数尺を開掘 かいくつ して粘土で填塞 てんそく し、極力槌 つ ち で撃ち、層々 そうそう 堆積 たいせき す。堅牢緻密亳 ご う も漏洩 ろうえい の虞 おそれ 無し。配水閘 はいすいこう 三を設け、放水場一を置く。経営適宜にして規模整然たり。三十年二月十日、工全く竣 おわ る。同年三月二十 三日、組合会を解く。全池の周囲一千十五間。池内 ちない 面積十四町三反九畝十一歩。深さ平均一間八合五勺。容水積約七万 九千八百八拾五坪。工費金一万二百五十円。疏水延長水源より練部屋 ねりべや 配水閘 はいすいこう に至る六里二十五町。配水閘 はいすいこう より本池に至 る二十三町。新設の溝澮 こうかい は大小八十九線。此の延長七千六十間。本池の関係する新田は、畑、田と成るは七十一町四反 四畝三歩、宅地 たくち 、田と成るは一町六反四畝歩、山林源野、田と成るは二反六畝歩、合計七十三町三反四畝三歩。旧田四 十町二反三畝十歩、新旧田総計百十三町五反七畝十三歩なり。而 しこう して新田殆 ほとん ど旧田に二倍す。蓋 け だ し此の増築の初めに当 り、水源淡河川疏通事業未だ工、成らず。故に皆遅疑 ち ぎ 躊躇 ちゅうちょ す。唯 た だ 本池管理者、委員群疑 ぐんぎ を排し、組合二十一個村に率先 して第一に工を起し、励精 れいせい 督工 とっこう す。二十四年五月疏水の初めて通ずるや先 ま ず本池に注入す。組合村之を見て続々工を起 す。疏水の注入之を以 も っ て嚆矢 こうし と為す。故に蛸草新村、疏水に依 よ り禾 か を得て既に九年なり。且 か つ其の工費に於いても亦 ま た 起 工の速きを以 も っ て民地買収反毎 たんごと 金額平均十円余り、官地も亦 ま た 無料貸与の特典を得たり。尚 な お 管理者、委員の務めて節約を為 すに由 よ り、反毎 たんごと の賦課金額、新田十円九十五銭、旧田五円四十七銭余りなり。其の賦課の軽きこと之に比 ひ する者無し。若 も し此の工事をして今日に行はしめば、工費を二倍すと雖 いえど も行うこと能 あた はざるなり。試みに本池関係七十三町三反余りの 新田を概算すれば、米額反毎 たんごと 平均二石二斗、計一千六百十二石六斗なり。是 こ れ 即 すなわ ち永世無限 えいせいむげん の財源なり。惟 お も ふに往時 おうじ 荒蕪 こうぶ の園圃変じて沃田 よくでん と為る。旧田も亦 ま た 水利饒足 じょうそく の為に収穫倍多 ばいた し以 も っ て積年の衰頽 すいたい を恢複 かいふく するを得たり。蛸草新村の幸福何 を以て之に如 し かん。此 こ れ 洵 まこと に管理者、委員、議員諸氏の鞠躬尽粹 きっきゅうじんすい 及び関係者並びに村を挙げての協同戮力 りくりょく とに由 よ る。其の 功績真に偉大なりと謂 い ふべきかな。蓋 け だ し岩本氏、松尾氏、伏川氏は淡河川疏水事業創始の際に於いても亦 ま た 該会議員と為 り与 あずか りて力有り。茲 こ こ に関係者並びに同村有志の者相謀 あいはか り、本池造営の成績を挙げて之を石に勒 ろ く することを請 こ ふ。因 よ りて 其の梗概 こうがい を記し之を贈る。 明治三十三年五月十日 加古郡母里村長 北條直正謹 つつし みて撰 せ ん し並びに書す。



「耳のある亀」を調べてみると次のようなものがあった。

隅田川神社(水神社)の亀
http://www9.plala.or.jp/sinsi/07sinsi/fukuda/kame/kame-2.html





ドラゴントータル 浦島太郎の亀
http://kihiminhamame.hatenablog.com/entry/2018/06/06/210000


8484yogiさんのブログ 瀬織津姫 & クンダリーニ…No.52
https://ameblo.jp/8484yogi/entry-11847162789.html


図表入りの記事はこちらにあります。
http://www.alchemist.jp/Blog/190718.pdf

ブログ一覧はこちらにあります。
http://www.alchemist.jp/Blog/Blog-002.html



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