1年前の今日  江⼾時代にサケの習性を知り、それを利⽤して漁獲⾼を向上させた⼈がいた

1年前の今日  2019年7月4日

サケの習性を理解している私たちは、サケが遡上する環境を整えることがサケの漁獲高を増やす上で最善の方法であることを知っているが、江戸時代においてこの習性を知り、苦難の末に環境を整え、村上藩(現在の新潟県)をサケの一大産地とした人がいたことは驚きであり、その実現のために向けられたエネルギーは称賛に値する。

記事によると「乱獲により1720年ごろには漁獲量が限りなくゼロに近づいていた」。これを克服しサケの漁獲量を向上させるために、「市内を流れる三面川を3方向に分流させ、その内の一本でサケを囲い込み養育地とする」。当時としては画期的なアイデアであり、そのための河川分流工事を25年の歳月をかけてやり遂げた。

サケ漁の歴史(Web)によると、

5.江戸時代のサケ漁
本朝式(延喜式)や刊行物にみられるサケ漁
サケ漁はもっぱら河口、河川で行われていました。川に遡上するサケが漁獲の対象でした。
サケの漁は、サケが遡上する北海道・東北・北陸地方を中心に、日本海側では山口県粟野川(あわのがわ)、太平洋側では千葉県利根川(とねがわ)を南限として行われていました。漁場は河口部、河川、河川上流の産卵場など、サケの習性を利用して行われてきました。

とあります。

今でこそ人工受精卵より孵化させた稚魚の河川への放流が主となっています。サケ(Wikipedia)には、

日本近海のサケの圧倒的多数は、安定した漁業資源確保のために北海道・東北地方を中心に人工的に採卵・放流される孵化場産シロザケが占めている。稚魚の放流が行われず、自然産卵のみのサイクルが維持されている河川も北海道、北陸・近畿・山陰地方にいくつか存在する。

江戸時代のこの自然の摂理を利用したサケ資源の増産方法には、現代人も見習う必要があると感じました。



図表入りの記事はこちらにあります。
http://www.alchemist.jp/Blog/190704.pdf

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