1年前の今日  「明⽇はかってにやってくる」が伝える、旧家に⽣まれたゆえの逃れ得ぬ宿命

1年前の今日  2019年8月11日


書籍「明日はかってにやってくる(多木和子、2019年)」を読んだ。著者は多木化学の社長の家柄に生まれ、多木久米次郎のひ孫にあたる。多木家の一人娘であり、養子を迎えて会社を守っていかなければならない宿命を負っていた。

書籍の中では、約200年前の家の歴史から話を始め、現代の多木幼稚園にまで話を進めている。旧家のお嬢さん故に、それも一人娘であるがゆえに、その抗しきれない運命の中で生きていくことを求められた。その赤裸々な心の内が綴られている。

本書を読んでみて、初めて本書のタイトル
の意味が了解された。旧家に生まれることは、その自由度の一部あるいはかなりの部分を制約されることもあるということである。

多木家は加古川市が誇る旧家である。この旧家に生きることとはどういうことであるかの、そのごく一部分ではあると思うのだが、それが明確に伝わってくる。一読に値する書籍であると思う。

さて、この書の中に興味深い裁判の話が記載されていた。次ページに示す100号の油絵の所有権が、詐欺に近い形で山梨県立美術館に移転し、その返却を裁判に訴えたが、地方裁判所、高等裁判所、そして最高裁判所のいずれの裁判所でも敗訴したという話である。

ある画廊がこの絵を山梨県立美術館の主催する「バルビゾン派展覧会」に出展しませんか、と薦めてきた。この作品は美術館へと送ったが、美術館からはその借用書は届かなかった。そして、ある日突然に画廊からあの絵は美術館に売れましたとの連絡がきた。美術館に連絡を入れると、ここの学芸部長から「いったん持ち主の手を離れたら、絵は画廊のものだ」と罵られ、この後、長い裁判へとつながっていく。裁判は結論ありきで、著者の結論は、国や県などの官と、個人が裁判で戦っても、結果は官有利であり、裁判官や多木家が依頼した弁護士にもその流れに沿う態度が端々に見られ、結局は国との裁判は出来レースにしか過ぎなかったということである。

所有権の移転に関しては、慎重すぎるほどに慎重に、当事者間で一筆を取り交わす必要があるということだ。世の中、何が起こるかわからない。

※ 多木家と画廊の間に当然のことながら売買依頼契約は結ばれていない。

この事件に基づいたノンフィクション、書籍「仮死法廷」(軒上泊、1999年)がある。
「私の闘いはまだ終っていませんから…」バルビゾン派の名画を巡る「絵画引き渡し請求事件」の真相に迫る!画商たちが仕組んだ事件の顛末と理不尽な裁判の実相を徹底的に暴く精密ノンフィクションノベル。



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