日本の底力は化学にあり! 論理的でないところが日本人向き?
化学は暗記物の学問か? それとも理論に根付いた学問か? ここはよく議論されるところである。私も中学の時には化学記号が覚えられなくて苦労した。そんな私であるが、高校の時には化学部で思いつく限りの実験をし、化学とはこのようなものかとの実感を掴んだ。そして高校卒業後、大学は工学部応用化学科に進んだ。
化学と物理の大きな違いはどこかと問われれば、物理は論理的色彩が強いのに対して、化学はつかみどころがないところである。経験を積みながら少しずつ実力を蓄えていく学問である。こうなるだろうとの予測を立てて実験してズバリそうなることもあれば、思ったような結果が得られずに意気消沈することもある。結果への確信が強ければ強いほどその予測が外れた時のショックは大きいものである。しかし、化学という学問の本質はこの試行錯誤作業の繰り返しにある。化学という学問の発祥が「錬金術」であることから考えても、やはり失敗の連続は覚悟しなければならない。
しかし、たまにではあるが、本当にたまにではあるが、予測と異なった予期しない結果が得られることがある。多くの場合は本当の失敗であるが、その失敗の中に千に一つは大発明の種が隠されている。化学の大発見・大発明の大元はそのような失敗である場合が多い。ノーベル化学賞受賞の白川先生、田中さんの場合はまさにセレンディピティであった。失敗を色眼鏡を掛けずに眺めることで、大発見へとつなげていける、化学とはそのような魅力を持つ学問である。運鈍根という言葉があるが、化学においては一部の天才だけでなくすべての研究者が何らかの発見をするチャンスを持っている。ただし、「なぜだろう?}と不思議を大切にする子供の心、「無知の知」という大人の落ち着きは常に備えておかなければならない。そして、何が何でも成果を出すのだという意気込みも忘れてはならない。
以上、前置きが少し長くなったが、まずノーベル賞を受賞した日本の化学者一覧である。白川先生、田中さんは先程セレンディピティと言ったが、その発見を発明にまで仕上げるのは容易なことではない。他の先生方も同じである。日々努力、そして日々進歩である。機会はみんなに与えられている。
1981年(昭和56年) 福井謙一
京都帝国大学工学部卒、工学博士(京都大学)
化学反応過程の理論的研究
2000年(平成12年) 白川英樹
東京工業大学理工学部卒、工学博士(東京工業大学)
導電性高分子の発見と発展
2001年(平成13年) 野依良治
京都大学工学部卒、工学博士(京都大学)
キラル触媒による不斉反応の研究
2002年(平成14年) 田中耕一
東北大学工学部卒、東北大学名誉博士
生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発
2008年(平成20年) 下村脩
旧制長崎医科大学附属薬学専門部卒、理学博士(名古屋大学)
緑色蛍光タンパク質 (GFP) の発見と生命科学への貢献
2010年(平成22年) 鈴木章
北海道大学理学部卒、理学博士(北海道大学)、北海道大学工学部名誉教授
クロスカップリングの開発
根岸英一
東京大学工学部卒、ペンシルベニア大学博士課程修了 (Ph.D.)、パデュー大学教授
クロスカップリングの開発
さて、話は変わるが、国際化学オリンピックなるものがある。毎年、選抜された高校生4名を世界の化学エリートが集う大会に送り出している。ここ数年の成績は次のとおりとなっている。
国際化学オリンピック(Wikipedia)より、
金メダリスト
2012年現在、日本の金メダリストは7人いる。
川崎瑛生(武蔵高等学校)2004年
今村麻子(神戸女学院高等学部)2006年
小澤直也(駒場東邦高等学校)2009年
遠藤健一(栄光学園高等学校)2009年
遠藤健一(栄光学園高等学校)2010年
齊藤颯(灘高等学校)2010年
副島智大(立教池袋高等学校)2011年
副島智大(立教池袋高等学校)2012年
山角拓也(灘高等学校)2012年
各年の成績
歴代の日本代表の成績は以下の通り。
2003年(ギリシア) - 銅2敢闘2
2004年(ドイツ) - 金1銅3
2005年(台湾) - 銀1銅3
2006年(韓国) - 金1銀3
2007年(ロシア) - 銅4
2008年(ハンガリー) - 銅4
2009年(イギリス) - 金2銀1銅1
2010年(日本) - 金2銀2
2011年(トルコ) - 金1銀3
2012年(アメリカ) - 金2銀2 第44回国際化学オリンピック代表生徒の成績について
2013年(ロシア) - 銀4
そして2013年の銀4は次のようになっている。
岡本 浩一 大阪教育大学附属高等学校 天王寺校舎 3年
羽根渕 高弘 愛知県立岡崎高等学校 3年
福永 隼也 白陵高等学校 2年
正田 浩一朗 白陵高等学校 2年
こと化学に関しては国際的に見てもいい線を行っているのではないだろうか。私が住んでいる兵庫県の白陵高校が2名入っているから嬉しくなる。
そして、技術分野で最高の権威ある資格と言われているのが技術士である。この技術士になるためには、まずは大学卒業レベルの実力があるかの試験(技術士第一次試験)に合格し技術士補となる。その後、4年間の実務経験を積んだ後に高度な学識と応用力の有無を試す技術士二次試験を受験し、みごと合格すれば技術士を名乗ることができる。一次試験といえども我こそはという人たちが受験するのでかなりの難関である。
その技術士第一次試験科学部門に8歳の小学生が合格したとのニュースがあった。これは驚くべき快挙である。下表に年齢別の合格率が示されているが、年齢を重ねたからといって合格できる試験でもないようだ。やはり実力が物を言う。最近では、大学の化学科を卒業した多くの人が甲種危険物試験の受験に失敗する時代である。この小学生はすごい。
ここで、私が一言付け加えたいのは、国際化学オリンピックにしても技術士第一次試験にしても、出題範囲が決まっていて、さらに答えがある問題である。記憶力が良ければ合格できる可能性が高くなる。だが、化学という実学においてはいままで誰も踏み入ったことのない領域に自ら足を踏み入れ、果実を探さなければならない宿命にある。そこに答えがあるかどうかなどは最初から分からない。行ってみて、自分で確認するしかないのである。この行ってみて、自分で確認し、果実を取り出す一連の作業を確認するための試験が技術士第二次試験である。したがって、一次試験と二次試験は全く異なる試験である。
国際化学オリンピックで優秀な成績を上げた高校生、そして若くして技術士第一次試験を突破した人たちが、なんとなく混沌と見える世界で、成果が出せるように成長していってくれることを願っている。そして、その成長にはしかるべき船頭(先導)が重要な役割を果たす。国際化学オリンピックの場合は、渡辺正東京理科大教授、伊藤真人創価大学教授、米澤宣行東京農工大教授がその役割をになった。日本化学会から「国際化学オリンピック及び化学グランプリの活動による化学教育普及」(功労賞)を受ける。また、川田獅大君の場合はお父さんが良き指導者である。昔から口伝という言葉があるが、人を育てていけるのは人である。
技術士(Wikipedia)
技術士(ぎじゅつし、Professional Engineer)は、技術士法(昭和58年4月27日法律第25号)に基づく日本の国家資格である。有資格者は技術士の称号を使用して、登録した技術部門の技術業務を行える。
技術士補(ぎじゅつしほ、Associate Professional Engineer)は、将来技術士となる人材の育成を目的とする、技術士法に基づく日本の国家資格である。有資格者は技術士の指導の下で、技術士補の称号を使用して、技術士を補佐する技術業務を行える。
技術士は科学技術の全領域に渡る分野をカバーしている。現在、21の技術部門が設けられている。
平成25年の技術士一次試験の結果は次のとおりであった。
分野別合格率(一部)
年代別合格率
東京新聞 1月4日
技術士補は小学3年生 国家資格1次に最年少合格
文部科学省所管の国家資格「技術士」(化学部門)の本年度一次試験に、東京都千代田区立お茶の水小学校の三年生川田獅大(れおと)君(9つ)が合格した。受験時の年齢は八歳で、父親(44)によると、過去の最年少合格者の十七歳を大幅に更新した。条件があり、二次試験はすぐに受けられないが、技術士補として登録できる。獅大君は「少し自信はあった。うれしい」と喜びを語っている。(井上幸一)
試験を実施する公益社団法人「日本技術士会」(港区)によると、受験者の中心は企業の技術者や大学生で、本年度の平均年齢は三五・八歳。小学生が受験すること自体が異例という。
一次試験は、微積分、行列、空間ベクトルなどの「基礎」、関連法令が出題される「適性」、獅大君が受けた化学をはじめ各部門ごとの知識を問う「専門」の三科目。合格には、それぞれ五割以上の得点が必要となる。「基礎」と「専門」は大学専門教育程度のレベルで、本年度の化学部門の合格率は48・5%だった。
一昨年十二月には試験に化学式が出る危険物取扱者甲種に合格、八歳は最年少記録だった。
昨年十月の技術士試験に向けた勉強は、二週間ほど前から連日、深夜まで集中的に行った。コンサルティング会社に勤める父親が、ネットから問題を入手し、数学などの基礎を指導した後、約七年分の過去問題を解いて実力を付けた。
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化学と物理の大きな違いはどこかと問われれば、物理は論理的色彩が強いのに対して、化学はつかみどころがないところである。経験を積みながら少しずつ実力を蓄えていく学問である。こうなるだろうとの予測を立てて実験してズバリそうなることもあれば、思ったような結果が得られずに意気消沈することもある。結果への確信が強ければ強いほどその予測が外れた時のショックは大きいものである。しかし、化学という学問の本質はこの試行錯誤作業の繰り返しにある。化学という学問の発祥が「錬金術」であることから考えても、やはり失敗の連続は覚悟しなければならない。
しかし、たまにではあるが、本当にたまにではあるが、予測と異なった予期しない結果が得られることがある。多くの場合は本当の失敗であるが、その失敗の中に千に一つは大発明の種が隠されている。化学の大発見・大発明の大元はそのような失敗である場合が多い。ノーベル化学賞受賞の白川先生、田中さんの場合はまさにセレンディピティであった。失敗を色眼鏡を掛けずに眺めることで、大発見へとつなげていける、化学とはそのような魅力を持つ学問である。運鈍根という言葉があるが、化学においては一部の天才だけでなくすべての研究者が何らかの発見をするチャンスを持っている。ただし、「なぜだろう?}と不思議を大切にする子供の心、「無知の知」という大人の落ち着きは常に備えておかなければならない。そして、何が何でも成果を出すのだという意気込みも忘れてはならない。
以上、前置きが少し長くなったが、まずノーベル賞を受賞した日本の化学者一覧である。白川先生、田中さんは先程セレンディピティと言ったが、その発見を発明にまで仕上げるのは容易なことではない。他の先生方も同じである。日々努力、そして日々進歩である。機会はみんなに与えられている。
1981年(昭和56年) 福井謙一
京都帝国大学工学部卒、工学博士(京都大学)
化学反応過程の理論的研究
2000年(平成12年) 白川英樹
東京工業大学理工学部卒、工学博士(東京工業大学)
導電性高分子の発見と発展
2001年(平成13年) 野依良治
京都大学工学部卒、工学博士(京都大学)
キラル触媒による不斉反応の研究
2002年(平成14年) 田中耕一
東北大学工学部卒、東北大学名誉博士
生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発
2008年(平成20年) 下村脩
旧制長崎医科大学附属薬学専門部卒、理学博士(名古屋大学)
緑色蛍光タンパク質 (GFP) の発見と生命科学への貢献
2010年(平成22年) 鈴木章
北海道大学理学部卒、理学博士(北海道大学)、北海道大学工学部名誉教授
クロスカップリングの開発
根岸英一
東京大学工学部卒、ペンシルベニア大学博士課程修了 (Ph.D.)、パデュー大学教授
クロスカップリングの開発
さて、話は変わるが、国際化学オリンピックなるものがある。毎年、選抜された高校生4名を世界の化学エリートが集う大会に送り出している。ここ数年の成績は次のとおりとなっている。
国際化学オリンピック(Wikipedia)より、
金メダリスト
2012年現在、日本の金メダリストは7人いる。
川崎瑛生(武蔵高等学校)2004年
今村麻子(神戸女学院高等学部)2006年
小澤直也(駒場東邦高等学校)2009年
遠藤健一(栄光学園高等学校)2009年
遠藤健一(栄光学園高等学校)2010年
齊藤颯(灘高等学校)2010年
副島智大(立教池袋高等学校)2011年
副島智大(立教池袋高等学校)2012年
山角拓也(灘高等学校)2012年
各年の成績
歴代の日本代表の成績は以下の通り。
2003年(ギリシア) - 銅2敢闘2
2004年(ドイツ) - 金1銅3
2005年(台湾) - 銀1銅3
2006年(韓国) - 金1銀3
2007年(ロシア) - 銅4
2008年(ハンガリー) - 銅4
2009年(イギリス) - 金2銀1銅1
2010年(日本) - 金2銀2
2011年(トルコ) - 金1銀3
2012年(アメリカ) - 金2銀2 第44回国際化学オリンピック代表生徒の成績について
2013年(ロシア) - 銀4
そして2013年の銀4は次のようになっている。
岡本 浩一 大阪教育大学附属高等学校 天王寺校舎 3年
羽根渕 高弘 愛知県立岡崎高等学校 3年
福永 隼也 白陵高等学校 2年
正田 浩一朗 白陵高等学校 2年
こと化学に関しては国際的に見てもいい線を行っているのではないだろうか。私が住んでいる兵庫県の白陵高校が2名入っているから嬉しくなる。
そして、技術分野で最高の権威ある資格と言われているのが技術士である。この技術士になるためには、まずは大学卒業レベルの実力があるかの試験(技術士第一次試験)に合格し技術士補となる。その後、4年間の実務経験を積んだ後に高度な学識と応用力の有無を試す技術士二次試験を受験し、みごと合格すれば技術士を名乗ることができる。一次試験といえども我こそはという人たちが受験するのでかなりの難関である。
その技術士第一次試験科学部門に8歳の小学生が合格したとのニュースがあった。これは驚くべき快挙である。下表に年齢別の合格率が示されているが、年齢を重ねたからといって合格できる試験でもないようだ。やはり実力が物を言う。最近では、大学の化学科を卒業した多くの人が甲種危険物試験の受験に失敗する時代である。この小学生はすごい。
ここで、私が一言付け加えたいのは、国際化学オリンピックにしても技術士第一次試験にしても、出題範囲が決まっていて、さらに答えがある問題である。記憶力が良ければ合格できる可能性が高くなる。だが、化学という実学においてはいままで誰も踏み入ったことのない領域に自ら足を踏み入れ、果実を探さなければならない宿命にある。そこに答えがあるかどうかなどは最初から分からない。行ってみて、自分で確認するしかないのである。この行ってみて、自分で確認し、果実を取り出す一連の作業を確認するための試験が技術士第二次試験である。したがって、一次試験と二次試験は全く異なる試験である。
国際化学オリンピックで優秀な成績を上げた高校生、そして若くして技術士第一次試験を突破した人たちが、なんとなく混沌と見える世界で、成果が出せるように成長していってくれることを願っている。そして、その成長にはしかるべき船頭(先導)が重要な役割を果たす。国際化学オリンピックの場合は、渡辺正東京理科大教授、伊藤真人創価大学教授、米澤宣行東京農工大教授がその役割をになった。日本化学会から「国際化学オリンピック及び化学グランプリの活動による化学教育普及」(功労賞)を受ける。また、川田獅大君の場合はお父さんが良き指導者である。昔から口伝という言葉があるが、人を育てていけるのは人である。
技術士(Wikipedia)
技術士(ぎじゅつし、Professional Engineer)は、技術士法(昭和58年4月27日法律第25号)に基づく日本の国家資格である。有資格者は技術士の称号を使用して、登録した技術部門の技術業務を行える。
技術士補(ぎじゅつしほ、Associate Professional Engineer)は、将来技術士となる人材の育成を目的とする、技術士法に基づく日本の国家資格である。有資格者は技術士の指導の下で、技術士補の称号を使用して、技術士を補佐する技術業務を行える。
技術士は科学技術の全領域に渡る分野をカバーしている。現在、21の技術部門が設けられている。
平成25年の技術士一次試験の結果は次のとおりであった。
分野別合格率(一部)
年代別合格率
東京新聞 1月4日
技術士補は小学3年生 国家資格1次に最年少合格
文部科学省所管の国家資格「技術士」(化学部門)の本年度一次試験に、東京都千代田区立お茶の水小学校の三年生川田獅大(れおと)君(9つ)が合格した。受験時の年齢は八歳で、父親(44)によると、過去の最年少合格者の十七歳を大幅に更新した。条件があり、二次試験はすぐに受けられないが、技術士補として登録できる。獅大君は「少し自信はあった。うれしい」と喜びを語っている。(井上幸一)
試験を実施する公益社団法人「日本技術士会」(港区)によると、受験者の中心は企業の技術者や大学生で、本年度の平均年齢は三五・八歳。小学生が受験すること自体が異例という。
一次試験は、微積分、行列、空間ベクトルなどの「基礎」、関連法令が出題される「適性」、獅大君が受けた化学をはじめ各部門ごとの知識を問う「専門」の三科目。合格には、それぞれ五割以上の得点が必要となる。「基礎」と「専門」は大学専門教育程度のレベルで、本年度の化学部門の合格率は48・5%だった。
一昨年十二月には試験に化学式が出る危険物取扱者甲種に合格、八歳は最年少記録だった。
昨年十月の技術士試験に向けた勉強は、二週間ほど前から連日、深夜まで集中的に行った。コンサルティング会社に勤める父親が、ネットから問題を入手し、数学などの基礎を指導した後、約七年分の過去問題を解いて実力を付けた。
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