イエス・キリストはその生涯をなんと日本の青森で終えた?

日本経済新聞の3月26日の記事に「キリスト伝説を訪ねる。青森・新郷村」という記事が掲載された。これによると、イエス・キリストは十字架で磔(はりつけ)になって死んだのではなく、生き延びて日本にたどり着いたとある。現にその墓も存在すると。なかなかのロマンあふれる話であるが、信じられない話でもある。

記事によると、
キリストが渡来したとの古文書が茨城県の竹内家で発見された
 キリストは22歳の時に能登半島に上陸し、日本で修行して33歳の時にユダヤの地に戻った。
 しかし、迫害され、シベリアを経由して青森の地に至ったと
 竹内家が1935年に青森県を訪れ、古文書が確かであることを確認したと
キリストの墓(十字架)とダビデの星をあしらった墓碑が立つ
イスラエルのエルサレムより「友好の証」の碑が寄贈されている


キリストは死して3日目に蘇り天に昇っていったとあるので、この地上には墓など存在しないことになる。その逆手をとった話である。ストーリーとしては面白い。

話の種に少し調べてみた。

キリストの墓(Wikipedia)

青森県戸来村

1935年(昭和10年)8月初に、鳥谷幡山が1934年(昭和9年)10月に見つけた大石神のピラミッド確認のため青森県戸来(へらい)村(現在は三戸郡新郷村大字戸来。)を鳥谷とともに訪ねていた新宗教団体の教祖、竹内巨麿(たけうちきよまろ)は、2間~3間の長方形の盛り土をみると立ち止まり、それが古文献を一人で調べた結果により、そこに統来訪神と書いた目標と前の野月の二ツ塚に「十来塚」と書くよう村長に話したという。

この後竹内巨麿は竹内文書に、「イスキリス・クリスマス。福の神。八戸太郎天空神。五色人へ遣わし文」にはじまる記述や「イスキリス・クリスマス」の遺言があるとし、イスキリス・クリスマスはゴルゴダの丘で処刑されず、弟のイスキリを身代わりにして日本に渡来して死に、その墓が「十来塚」であるとする。このイスキリス・クリスマスがイエス・キリストであり「十来塚」が「イエス・キリストの墓」であるという。ただし、竹内文書は多くの研究者から「偽書」と断定されている。

この後「古代史書研究会」が来村、戸来村の村名は、ヘブライに由来するとした。 アメリカ在住の川守田英二が現地の伝承歌であるナニャドヤラがヤハゥエをたたえるヘブライ語の歌であるという書簡を戸来村に送った。

また日本において「桔梗紋」と言われるこの村の旧家に伝わる家紋は五角の形であり、ユダヤのシンボル六芒星である「ダビデの星」と酷似しているとしイスラエルの失われた十氏族やイエスとの関わりを指摘する説もある。 現在でも戸来小学校の校章はダビデの星と同じ形の籠目である。また、戸来村では子供の額に健康祈願などの意味合いを込めて墨で黒い十字を書く風習があったという。

東京大学の余郷嘉明助教授による世界34カ国にわたるヒトポリオーマウイルス分布調査によれば、コーカソイドに見られるEUタイプウィルスが秋田県で見つかっている。 これはコーカソイドの集団が秋田周辺にやってきた可能性を示すものである。ヘブライ人もコーカソイドであることから、これら遺伝情報調査結果は日ユ同祖論の傍証となっている。ただし、全くの奇説であり、大多数の日本人はおろか、他国でも全く認められておらず。また、その根拠としているものも、学術的な論拠にもならない。


Shingō, Aomori(Wikipedia)

Tomb of Jesus Christ

Shingō village is the location of what is purported to be the last resting place of Jesus, located in the "Tomb of Jesus" (Kirisuto no haka), and the residence of Jesus' last descendants, the family of Sajiro Sawaguchi. According to the Sawaguchi family's claims, Jesus Christ did not die on the cross at Golgotha. Instead his brother, Isukiri, took his place on the cross, while Jesus fled across Siberia to Mutsu Province, in northern Japan. Once in Japan, he became a rice farmer, married, and raised a family with three daughters near what is now Shingō. While in Japan, it is asserted that he traveled, learned, and eventually died at the age of 106. His body was exposed on a hilltop for four years. According to the customs of the time, Jesus' bones were collected, bundled, and buried in the mound purported to be the grave of Jesus Christ.

Another mound near the alleged grave of Jesus is said to contain an ear of the brother of Jesus and a lock of hair from Mary, the mother of Jesus, the only relics of his family Jesus could carry when he fled Judaea. The claims started in 1933 after the discovery of supposed "ancient Hebrew documents detailing Jesus' life and death in Japan" that was supposedly the testament of Jesus. These documents were allegedly seized by the Japanese authorities and taken to Tokyo shortly before World War II and have not been seen since.

The English text on the sign explaining the legend of the Tomb of Christ reads:

When Jesus Christ was 21 years old, he came to Japan and pursued knowledge of divinity for 12 years. He went back to Judea at age 33 and engaged in his mission. However, at that time, people in Judea would not accept Christ's preaching. Instead, they arrested him and tried to crucify him on a cross. His younger brother, Isukiri casually took Christ's place and ended his life on the cross.

Christ, who escaped the crucifixion, went through the ups and downs of travel, and again came to Japan. He settled right here in what is now called Herai Village, and died at the age of 106.

On this holy ground, there is dedicated a burial mound on the right to deify Christ, and a grave on the left to deify Isukiri.

The above description was given in a testament by Jesus Christ.


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