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zoom RSS 今はまさに人間力「リベラルアーツ教育」が求められる時代

<<   作成日時 : 2013/12/20 00:56   >>

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 本日の日経新聞に、一般社団法人「不識庵」の広告が大きく掲示されていた。理事長で不識塾の塾長は中谷巌氏である。曰く、「相反する要請」をどう止揚するか。

 不識とは「知らないこと」。言い換えると、「無知の知」(ソクラテス)である。「止揚」はWikipediaによると、



止揚(しよう、独: aufheben、アウフヘーベン)は、ドイツの哲学者であるヘーゲルが弁証法の中で提唱した概念。揚棄(ようき)ともいう。

解説

ドイツ語の aufheben には、廃棄する・否定するという意味と保存する・高めるという二様の意味があり、ヘーゲルはこの言葉を用いて弁証法的発展を説明した。つまり、古いものが否定されて新しいものが現れる際、古いものが全面的に捨て去られるのでなく、古いものが持っている内容のうち積極的な要素が新しく高い段階として保持される。

このように、弁証法では、否定を発展の契機としてとらえており、のちに弁証法的唯物論が登場すると、「否定の否定の法則」あるいは「らせん的発展」として自然や社会・思考の発展の過程で広く作用していると唱えられるようになった。

国語辞典などでは、違った考え方を持ち寄って議論を行い、そこからそれまでの考え方とは異なる新しい考え方を統合させてゆくこと、という説明がなされることがある。



広告には次のように記されている。

「不識塾」は、宗教、歴史、哲学などを深く学ぶことで、世界を鳥瞰できる洞察力のあるグローバル企業幹部を育成するための「私塾」です。「不識塾」が一貫して、「哲学」や「歴史」などリベラルアーツ教育をカリキュラムの中核に据える。
「相反する要請」とは、「徹底的に現地に入り込み、同化していくべきだ」という要請と、「外国に安易に妥協せず、日本本来の価値を守り、磨き続けるべきだ」という要請。これらをどう両立させ、止揚していけば良いのか。



 リベラルアーツ、横文字で言ってしまえば難しく聞こえるが、日本語に訳せば教養科目である。最近の大学では専門の勉強に力点が置かれ、教養に関する授業時間が少なくなっていると聞く。私の学生時代は大学1年、2年は教養に関する期間で、大学3年、4年が専門に関する期間であった。時代を戦前まで遡れば、旧制高校においては全寮制で、人生とは、宗教とは、と激論を戦わす場が人間力獲得の場であり、これが正にリベラルアーツそのものであった。戦後、駐留軍は日本の復活を恐れ、このリベラルアーツ教育(旧制高校の教育スタイル)を廃止したとされる。

 旧制高校(授業内容は大学の教養課程に相当する)においては人生とはなんぞや、と同じ飯を食いながら議論した。これは、生きていくためには全く無意味のようにも思われるが、この議論を通して生きる意味をつかみ取り、それを励みにその後の人生を作り上げてきた。社会における自身の役割を意識したからこそ、戦前の人々は非常に建設的な仕事を成し遂げることができたと言える。

 ところが、戦後は事情が変わった。特にここ20年くらいの高校生は「ゆとり教育」の名のもとに、深く考えることがなくなったのではと思われる。「私はどこから来てどこへ行くのか?」 生きていれば必ず遭遇する問題であるが、この人生にとって一番大切な問いを避けて通った結果、迫力のない人生となっているし、ものごとがうまくいかない理由を他人のせいにする風潮も出てきている。

 欧米諸国においては、リベラルアーツなる教育方針が大学学部生には徹底している。このカリキュラムにおいて古典に学び、生きる意味を認識する。古典を知らなければ、実業界においても尊敬されないことになる。日本人が欧米諸国の人と仕事を共にするとき、尊敬を得るのは、日本人が日本の歴史についていかに理解しているかということが重要となる。

 旧制高校から伝統的に続いてきた、いわゆるリベラルアーツがとぎれたのは、敗戦によりアメリカが、この教育を禁止したためである。日本が再び息を吹き返すことを恐れたからであると言われている。日本の教育も再考する時に来ていると言っていいのではないか。このままでは、世界に置いて行かれ、世界で孤立した日本となってしまうことは間違いないのではないか。日本の特徴はガラパゴスである。技術のガラパゴスは歓迎であるが、人と人とのつながりにおいてのガラパゴスには問題があると思う。

 若者よ。国が言う「ゆとり教育」などはナンボのものかと思い、それを無視する気概を持って、自分自身を鍛えることを望む。なんとなれば、欧米の大学生はリベラルアーツの名のもとに、寝る間を惜しんで勉学し、議論を戦わしているからである。今の日本の大学性がこの欧米の学生とディベートをしたとき、とても勝ち目がないと思われる。自分の人生は自分で切り開くべきである。国を信用してはいけない!


 現在は知識の多くはコンピュータ中に蓄積されている。また、工業生産においても機械化が進み、生産の多くが自動化されている。コンピュータや機械に任せられることは任せ、その上で人が何をすべきかが問われている時代である。受験勉強において多くの知識を覚え込む。このことは重要ではあるが、長い人生においては、知識を使いこなすための考え方が重要となってくる。もし欠如した知識がある場合には、情報技術を駆使すればかなりのものを入手することが可能な世の中である。人の頭は情報を利用するために戦略的に使うべきものである。


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