道徳と倫理 分かっているようでも、この違いはどこに
道徳と倫理、この違いがどこにあるかと問われると、この違いを明確に答えられる人は少ない。私も自己流の考えはあるが、これはあくまでも私の独りよがり。感覚的なものに過ぎない。私の頭の中では非常に単純化して、
道徳とは
自らが身を正し、人の道に外れない人としての処し方。内より外へ。
倫理とは
人が集団で生きていくための守るべきルールや処し方。外から内へ。
と考えているが、この考え方が一般的であるかどうかの確認をしてみる。
商業道徳という言葉はあるが企業道徳という言葉は聞かない。
大辞林 第三版の解説.
しょうぎょうどうとく【商業道徳】
商業活動において守らなくてはならない内面的な規範。誠実さや信義など一般道徳に準拠するもので,過度の競争・不誠実な契約・虚偽誇大広告・粗製乱造・暴利・買い占め・売り崩しなどの行為をいましめるもの。
企業倫理という言葉は聞くが企業道徳という言葉はあまり聞かない。
グロービスのMBA経営辞書の解説
.きぎょうりんり【企業倫理】
企業の目的は契約に基づいた利益追求であるが、企業活動上で最重要かつ守るべき基準となる考え方のこと。守るべき基準としては、法令遵守はもちろん、自然環境や社会環境、人権保護といった道徳的観点から企業活動を規定し、組織として統率する考え方、仕組み、組織づくり、運用方法を含めた考え方。
日本では企業倫理=法令遵守(コンプライアンス)と取られることもあるが、むしろ法令だけではカバーできない領域を規定することも重要である。法令で明確に定義できる領域でなく、法令遵守だけではカバーできない領域を企業倫理の領域とする考え方もある。
そのためには、自社自ら企業理念や行動指針などで自社としての倫理感、判断基準となる価値観を明確に定義することが必要であり、一方でステークホルダーとの信認関係での権利と義務を明確にすることも重要である。
企業倫理のアカデミックとしての歴史は浅く、学問として確立されたのは1980年代になってからである。米国のエンロンやワールドコム、日本の雪印など大企業の不祥事が社会問題となって企業倫理に対する世間の関心も高まってきた。
企業倫理制度を社内で具体的に進めるには、倫理網領、行動指針の整備や担当役員任命や担当部署設置などの組織体制、相談窓口や内部告発制度といった制度の確立、経営層からの率先垂範、役員から現場レベルまでの全社での教育・研修、企業倫理の浸透状況の継続的な評価といった組織への浸透、さらに倫理規範違反事実の開示と厳正な対応といった施策が必要である。
以下、調査により得られた関連情報を記載いたしました。私の理解は大きくは間違ってなかったようですが、この調査により言葉の持つ意味の奥深さに触れることができました。道徳と倫理、この両輪は現代人にとって社会生活を営む上で重要です。
こちらにも詳しく解説されています。その一部を引用させていただくと次のようになっています。
倫理と道徳とはどう違うのか。同じようだが、違うとも言える。倫理とは「仲間としての掟」と解釈でき、社会のあるべき秩序を維持する規範のことである。
道徳とは「個人としての掟」と理解でき、個人のあるべき理想を追求する空想のことである。
(さらに続く)
道徳は古くより日本の言葉、倫理は明治以後にできた言葉と思っていましたが、ともに古くからある言葉のようです。こちらに詳しく解説されています。その一部を転載させていただきました。
「倫理」や「道徳」という語は中国古典に由来する言葉です。その意味で言えば、古代中国から導入された外国語です。例えば、小川環樹・西田太一郎・赤塚忠編『角川 新字源』には、「倫理」は、「人のふみ行なうべき道」という意味を持つ言葉で、「楽(がく)は倫理(りんり)を通(つう)ずる者(もの)なり」(『礼記』楽記)といった使用例が示され、また、「道徳」は、「人のふみ行なうべき正しい道。道義」という意味を持つ言葉で、「道徳(どうとく)仁義(じんぎ)、礼(れい)に非(あら)ざれば成らず」(『礼記』曲礼)という例が示されています。しかし、現在使われている日本語の「倫理」「道徳」には、「人のふみ行なうべき道」という意味に加えて、さらに別の意味が付け加わっています。
(中略)
「倫理」「道徳」という語は、日本に輸入された古代中国語ですが、明治期に近代西洋思想が導入される際に、新たに翻訳語として充当されたことによって、意味の拡大変容をきたし、その後も拡大変容を続けて現代に受け継がれている近代日本語だということがわかりました。
こちらでは、
「倫理学」は英語の「ethics」を訳したものであり、ギリシア語の「ethos」が原語
ethosの語源は獣道(けものみち)
獣道→走りやすい道
走りやすい道(獣道)を多くの獣(人)が行き来すれば道となり、当然のごとく通る道となる
当然のごとく通る道、転じて、歩むべき道 すなわち倫理
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道徳とは
自らが身を正し、人の道に外れない人としての処し方。内より外へ。
倫理とは
人が集団で生きていくための守るべきルールや処し方。外から内へ。
と考えているが、この考え方が一般的であるかどうかの確認をしてみる。
商業道徳という言葉はあるが企業道徳という言葉は聞かない。
大辞林 第三版の解説.
しょうぎょうどうとく【商業道徳】
商業活動において守らなくてはならない内面的な規範。誠実さや信義など一般道徳に準拠するもので,過度の競争・不誠実な契約・虚偽誇大広告・粗製乱造・暴利・買い占め・売り崩しなどの行為をいましめるもの。
企業倫理という言葉は聞くが企業道徳という言葉はあまり聞かない。
グロービスのMBA経営辞書の解説
.きぎょうりんり【企業倫理】
企業の目的は契約に基づいた利益追求であるが、企業活動上で最重要かつ守るべき基準となる考え方のこと。守るべき基準としては、法令遵守はもちろん、自然環境や社会環境、人権保護といった道徳的観点から企業活動を規定し、組織として統率する考え方、仕組み、組織づくり、運用方法を含めた考え方。
日本では企業倫理=法令遵守(コンプライアンス)と取られることもあるが、むしろ法令だけではカバーできない領域を規定することも重要である。法令で明確に定義できる領域でなく、法令遵守だけではカバーできない領域を企業倫理の領域とする考え方もある。
そのためには、自社自ら企業理念や行動指針などで自社としての倫理感、判断基準となる価値観を明確に定義することが必要であり、一方でステークホルダーとの信認関係での権利と義務を明確にすることも重要である。
企業倫理のアカデミックとしての歴史は浅く、学問として確立されたのは1980年代になってからである。米国のエンロンやワールドコム、日本の雪印など大企業の不祥事が社会問題となって企業倫理に対する世間の関心も高まってきた。
企業倫理制度を社内で具体的に進めるには、倫理網領、行動指針の整備や担当役員任命や担当部署設置などの組織体制、相談窓口や内部告発制度といった制度の確立、経営層からの率先垂範、役員から現場レベルまでの全社での教育・研修、企業倫理の浸透状況の継続的な評価といった組織への浸透、さらに倫理規範違反事実の開示と厳正な対応といった施策が必要である。
以下、調査により得られた関連情報を記載いたしました。私の理解は大きくは間違ってなかったようですが、この調査により言葉の持つ意味の奥深さに触れることができました。道徳と倫理、この両輪は現代人にとって社会生活を営む上で重要です。
こちらにも詳しく解説されています。その一部を引用させていただくと次のようになっています。
倫理と道徳とはどう違うのか。同じようだが、違うとも言える。倫理とは「仲間としての掟」と解釈でき、社会のあるべき秩序を維持する規範のことである。
道徳とは「個人としての掟」と理解でき、個人のあるべき理想を追求する空想のことである。
(さらに続く)
道徳は古くより日本の言葉、倫理は明治以後にできた言葉と思っていましたが、ともに古くからある言葉のようです。こちらに詳しく解説されています。その一部を転載させていただきました。
「倫理」や「道徳」という語は中国古典に由来する言葉です。その意味で言えば、古代中国から導入された外国語です。例えば、小川環樹・西田太一郎・赤塚忠編『角川 新字源』には、「倫理」は、「人のふみ行なうべき道」という意味を持つ言葉で、「楽(がく)は倫理(りんり)を通(つう)ずる者(もの)なり」(『礼記』楽記)といった使用例が示され、また、「道徳」は、「人のふみ行なうべき正しい道。道義」という意味を持つ言葉で、「道徳(どうとく)仁義(じんぎ)、礼(れい)に非(あら)ざれば成らず」(『礼記』曲礼)という例が示されています。しかし、現在使われている日本語の「倫理」「道徳」には、「人のふみ行なうべき道」という意味に加えて、さらに別の意味が付け加わっています。
(中略)
「倫理」「道徳」という語は、日本に輸入された古代中国語ですが、明治期に近代西洋思想が導入される際に、新たに翻訳語として充当されたことによって、意味の拡大変容をきたし、その後も拡大変容を続けて現代に受け継がれている近代日本語だということがわかりました。
こちらでは、
「倫理学」は英語の「ethics」を訳したものであり、ギリシア語の「ethos」が原語
ethosの語源は獣道(けものみち)
獣道→走りやすい道
走りやすい道(獣道)を多くの獣(人)が行き来すれば道となり、当然のごとく通る道となる
当然のごとく通る道、転じて、歩むべき道 すなわち倫理
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