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zoom RSS 「存在しないことを証明すること」を「悪魔の証明」という

<<   作成日時 : 2014/07/24 21:40   >>

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「これは確か」とか「これは存在する」という時には、その確からしさや存在そのものに証拠があります。たとえば実際にそのものが目の前にあるとか。一方、そんなものは存在するはずがないと言ってみても、存在しない理由を示せと言われると、そこではたと困ってしまいます。精緻な理論構築をして存在しない理由の説明を作り上げても、その存在が一度見出されると、その精緻な理論は瓦解します。たとえば、ノーベル賞を受賞したBCS理論では40K以上の超電導物質など存在しないとされていたのが、はるかに高温で超伝導を示す高温超伝導物質が見出されたようなものです。

理系の人間は技術の流れがわかっているだけに、出来ることと出来ないことを的確に判断します。いや、判断しようとします。従来知られている技術範囲についてはこれで十分に対処できることになります。一方、未来に起こることについては、過去からの延長線上にない場合が多いので、大発見の種が足元にあるにもかかわらず、理系の常識により見落としてしまうこともあります。ある意味、石頭なのかもしれません。

それに引き換え、文系の人は科学の常識には染まっていませんから、あらゆる可能性を模索しようとします。理系から見ていて「そんなことが起こるはずないじゃないか」と思えることまで信じ込んでいる場合もあります。文系の人が理系の人間に「悪魔の証明」を求め、理系人間を困らせることも多々あります。

「あなたはそう言うけれども、世の中の多くの人がこれが効果があると言っているよ」「なぜあなたはそれが信じられないの」 この言葉が発せられた時には静かに黙って何もしないことにしています。下手に意見でも述べようものならば、格好の餌食にされてしまいます。理系の皆様はそのような経験はないでしょうか?

たとえば、健康器具や健康食品。健康に関することは避けて通ることはできませんが、文系の方がそれが効果があると思っているものを、こうだから効きませんよ、などと言ったら喧嘩をふっかけていることになります。効果がないことを証明するのには統計を用いれば良いと思うのですが、こと健康に関してはそのような統計は存在しないのではないでしょうか。これをあえて「効果なし」と言い放てば、「それを証明して」ということになり、これも一種の「悪魔の証明」です。

しかし考えてみるに、理系人間が思いも及ばないことを、文系人間だけとは言いませんが多くの人々が実践し、その結果が将来に何らかのヒントを与えていることは確かかもしれません。理屈っぽい理系人間と、柔軟な思考を持った文系人間が共存することにより、世の中がうまく回っていくのかもしれません。



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