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zoom RSS 西澤潤一先生の光ファイバー特許は特許庁に門前払いされた

<<   作成日時 : 2014/10/18 07:13   >>

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本日は少し引用が多くなったが、西澤潤一先生の光ファイバーについて記す。

西澤潤一先生の光ファイバーに関する特許問題は「光ファイバーの発明と特許問題」に詳述されている。日本の特許庁へ出せども出せども却下。そのうちに、米国のコーニング社から同じ内容の特許が出され、こちらは特許になったとある。

2009年のノーベル物理学賞は、「光通信を目的としたファイバー内光伝達に関する画期的業績」でチャールズ・K・カオが受賞した。

Wikipediaでは西澤潤一先生がチャールズ・K・カオよりも先に出てくる。英語版Wikipediaでも同じ内容となっている。

西澤先生の「概念」(特許)に対しKaoの具体的内容(論文)が勝利したということだろうか。それにしても、特許庁の対応といい、NTTの対応といい、日本人にとって非常に残念なことである。




光ファイバー(Wikipedia)

1958年になるとガラスファイバーの芯を違う種類のガラスで巻くという、コアとクアッドによって構造される石英ガラスファイバーがインド人物理学者の ナリンダー・S・カパニーによって考案される[6]。これにより、ケーブル内の屈折率の違いによって光を全反射で誘導するという光ファイバーの基礎が確立され、このとき初めてオプティカル•ファイバー(光ファイバー)と名づけれた。 ナリンダー・S・カパニーは光ファイバーの発明者とされ、光ファイバの父と称される。[7]

1961年、Elias Snitzerによって、シングルモード光ファイバーが提案された[8]。

1964年、西澤潤一、佐々木市右衛門は、ガラスファイバーのコア内の屈折率を中心から周辺に向かって連続的に低くなるように変化させ、入射角の異なる光をファイバー内で収束させる自己集束型光ファイバー(今日にいうGI型光ファイバー)の概念を特許出願により提案し[9]、自己集束型光ファイバーによる光通信の可能性について言及した。しかし特許庁は意味がわからないと不受理にした[10]。
同様の構造の光ファイバーは、ベル研究所のスチュワート・ミラーによっても提案されている[11] 。ミラーは、ガラスが効率的な長距離伝送の媒体となることを理論的に示した。

1965年、チャールズ・K・カオの論文により、ガラスの不純物濃度を下げれば光の損失を低減できるので、損失率が20dB/kmであれば通信用の光ファイバーに利用できる旨の提案がなされた。これまでに確立された理想的なガラスファイバーの理論から、不純物を含む現実的なガラスファイバーでの光の減衰特性の理論を唱えた画期的なものであった。
これにより、ガラスファイバーの不純物を下げる研究が活発に行われるようになり、光ファイバーは実用化に向けて大きく前進した。
カオは、光通信用の光ファイバーに対する先駆的な貢献により、1996年に日本国際賞、2009年にノーベル物理学賞を受賞した[12]。

1965年、世界初の光ファイバーによるデータ転送システムのデモンストレーションがドイツの物理学者マンフレッド・ベルナーによってテレフンケン研究所で行われ、このシステムの特許が1966年に申請された[13] [14]。

1966年には、西澤の研究は日本板硝子と日本電気によってセルフフォーカスファイバー「セルフォック」として実現される。その時点では60dB/kmが限度であった。

1970年、アメリカのコーニング社が通信用光ファイバーを実用化したと発表し、光ファイバの製造法とカオ論文に示された光ファイバの構造を始めとする基本特許(米国特許第三六五九九一五号)を得た。コーニングの光ファイバーは非常にもろく、まだ実用化にはほど遠いものであったが、カオの理論通りに20dB/kmの損失を達成した[15]。日本の特許庁はそれが西澤と類似するものであることを知りながら口をつぐんだ[10]。

またコーニング社の発表に続く形で、不純物のドーピングによる多層結晶成長の技術によって、常温で連続作用可能な半導体レーザーがベル研究所のパニッシュと林厳雄によって試作された。

Charles K. Kao(Wikipedia)
In 1965,[70][74]b[›] Kao with Hockham concluded that the fundamental limitation for glass light attenuation is below 20 dB/km (decibels per kilometer, is a measure of the attenuation of a signal over a distance), which is a key threshold value for optical communications.[75] However, at the time of this determination, optical fibers commonly exhibited light loss as high as 1,000 dB/km and even more. This conclusion opened the intense race to find low-loss materials and suitable fibers for reaching such criteria.


クロード・モネの愛好家であり光ファイバーの発明者、西澤潤一がNHKで特集

光通信の基礎を築いた人物、西澤潤一さんがNHKで特集されていました。
21年前に光ファイバーの基本的な技術についての特許を出願した人物です。
過去にノーベル賞候補に挙がるも受賞できませんでしたね。
また、画家のクロード・モネのファンであることも過去に語っています。

光ファイバーを実用化しようとさまざまな光通信に関する技術を現在のNTT(当時の電電公社)に提案し協力を依頼したところ実用性がないと断られたそうです。

光通信の技術について西澤潤一さんがヒントにしたのは、なんと金太郎飴。
このアイデアを学会で発表したところ、その会場では笑われてしまい、メーカーを説得しに行くも資金を提供してくれる企業は現れませんでした。

しかしアメリカで論文を発表したところ(これか?)、アメリカの研究者がこの論文に興味を示し、その後アメリカの企業が世界初の試作に成功し、現在日本のメーカーはこの企業に特許料を支払っています。なぜNTTは協力を断ったのでしょう・・・


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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
西澤さんの光ファイバーは当時の技術では光ファイバーと光ファイバーを繋ぐ信号器が実用化さえていなかったこともNTTが乗り気ではなかったのかもしれません。

当時のNTTは日本電信電話公社で研究所は武蔵野通信研究所だったと思います。半導体研究の重点を置いていて通信線のような安っぽい付録の研究開発には研究員の沽券に係わる事だったのかもしれません。後に電線会社も光ファイバーを作っていますが。。。

STAP細胞も特許申請されていますがこちらはどうなるのでしょうか。
匿名
2014/10/18 09:16
匿名様

50年前といえば、NTTが各戸に電話線を引き込むのに全力投球していた時期ですね。電話設置を申し込んでも2年待ち、3年待ちといった状況ではなかったでしょうか? NTTの常識としては当時は電線(Wired)しか頭になかったということは容易に理解できます。自動交換器を導入してまもなくの頃でしょう。

もうひとつの問題は、NTT社員は公務員であったということでしょう。お叱りを受ける言葉ですが、NTT社員が公務員のモットー「休まず、遅れず、働かず」に多少なりとも汚染されていたのではないでしょうか。お上の有通りに働き、いらぬことはせぬこと、これが出世への早道です。電電公社と双子の関係にある郵政省も電子化がはるかに遅れ、銀行や宅配便に大きく遅れをとりました。

時代は米国の後追いの時代。成功したシステムをそのまま取り入れるということだったのでしょう。それが日本における「成功へのキー」だったわけですから。

日本で発明されたものには価値がない。日本発の技術であっても米国が証明し、その結果を見て日本に逆輸入する。今はそんなことはないと信じてはいるのですが・・・・・
畑啓之
2014/10/18 17:27
日本の役人は規格化や標準化の利点も理解できないようです。
匿名
2014/10/19 11:11

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