シャルレの創業家とセシールの創業家 両創業家を比較してみると
シャルレの創業家が、その支配権を獲得するために、MBOの買い付け価格を不当に安くし、株主に被害を与えたとして有罪になった。シャルレは社長として招いた三屋裕子氏を創業家が電撃的に解雇したことでも話題になった。
今回、シャルレと聞いてセシールを思い出した。セシールは、社長の退任と同時に創業家の全員が社を辞した。
シャルレは1975年創業。セシールは1974年創業となっている。
シャルレ
読売新聞 10月17日
MBOで不当介入、シャルレ元社長らに賠償命令
下着販売会社「シャルレ」(神戸市)が2008年に発表したMBO(経営陣による自社買収)を巡る株主代表訴訟の判決が16日、神戸地裁であった。
伊良原恵吾裁判長は、創業家である当時の林勝哉社長と母親の林宏子取締役が、自社株の買い付け価格を下げるよう不当介入したことなどが原因で同社が約1億9700万円の損害を受けたと認定。2人に対し、同額を同社に支払うよう命じた。
シャルレ(Wikipedia)
女性用下着を中心とした衣料商社。代理店・特約店による訪問販売形式で商品を提供している。
セシール
里中満智子さんによる「セシール物語(2003年1月、非売品)に創業者・正岡道一が生まれてから退職するまでが良くまとめられている。2003年は正岡道一社長が親族全員と社を辞した年である。したがって、この書が発行された時には、すでに社長の退社が本書の締めくくりとなっている。
書籍のカバー、書はさらに二重箱に入った形で提供(無料謹呈)された
セシールついに東証一部上場
引退だ
わたしは社長を退き、同時に親族もすべて会社から退く
セシール(Wikipedia)
創業者の正岡道一が、1972年に高松市で創業。妻と共にストッキングをリヤカーに積んで販売して歩いた。1974年に、法人化して東洋物産株式会社を設立。翌1975年から通信販売を開始し、通信販売業者として発展し、株式上場も果たした。
ライブドアグループ入り[編集]
販売が低迷したこともあり、2005年10月21日に、ライブドア(現LDH)、ライブドアマーケティング(現 メディアイノベーション)の2社と資本・業務提携契約を締結。
フジサンケイグループ入り[編集]
フジ・メディア・サービスが議決権で78.06%の株式を取得して、子会社化した。2010年3月8日には、株式交換を実施して、フジ・メディア・サービスがセシールを完全子会社化した(これに先立つ2月24日付けで上場廃止)[2]。
四国新聞社 2003年12月23日
退職功労金を辞退 セシール正岡社長
セシールの正岡道一社長は二十二日、来年三月下旬で退任する際に役員特別退職功労金を辞退することを明らかにした。今期決算で売上高が十八年ぶりに千億円を割り込む見通しとなるなど、厳しい経営情勢を勘案したとみられる。
正岡社長の意向を受け、同社は退職功労金の原資を十二月から再開したテレビCMの費用に充てる方針。功労金の金額は非公表。退職金は通常通り支払われる。
2009年2月22日
正岡(元)社長いまいずこ? セシールの決算
売上高 639億円
純損失 14億円
これは2年連続の赤字ですね。
一頃は2000億円を超えた売上で、通販の雄として注目されましたが、今やこの体たらく。
「通販円舞曲」という本を読みますと、そこに登場する社長が正岡(元)社長をモデルにしているのだろうと評判になったことがありますが、あの正岡(元)社長がまだセシールの社長であればこんな無様な状態にはなっていなかったでしょうね。
悪くても1000億円の売上は維持しており黒字でいるでしょう。彼はお客様の心理と商品とカタログを熟知しており、経費削減と効率化では優れていましたから。
その次の社長が銀行出身で通販が全くわからず急速に売上を落としましたね。そしてライブドアが入り、・・・・凋落の道をたどっています。
そういえば、正岡社長さん、今どこにいるのでしょうか?
どなたか知っていれば教えていただきたいですね。もちろん大金持ちで悠々自適の生活をされていると思いますが。
2009年8月21日
経営はスピード・・・セシール元社長に見るスピード経営
昨夜のテレビで、エビナ電化工業社長の海老名氏が「即断・即決・即実行」ということを言われていました。それですぐに思い出したのが、日本の通販業界で、かつて一世を風靡した?セシールの正岡元社長のこと。
彼にお会いしたときに言われたのが「スピードが大事だよ。特にわれわれの会社のように小さな会社が大手に立ち向かって生き残るためには、スピードが決め手なんだ。大きな会社では物事を決めるのに稟議書だ会議だと何日もかかるようだが、ウチでは私が即決する。それで他社に打ち勝つことができるんだ」
と、熱く話されていたのです。
「すぐにやりなさい。しかし完璧に」
これは大変です。しかも彼は決裁したあとのフオローも確実に行っていたようで、部下としてはおちおちできなかったといいます。「あの件はどうなった」「今どのように進行しているのか」と直接社内を出歩き声をかけ確認して行ったようです。そういうこともあり、セシールは日本のカタログ通販会社最高の20000億円を売り上げたのでしょう。(この決裁の様子は「通販円舞曲」という本にも詳しく書かれています)
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今回、シャルレと聞いてセシールを思い出した。セシールは、社長の退任と同時に創業家の全員が社を辞した。
シャルレは1975年創業。セシールは1974年創業となっている。
シャルレ
読売新聞 10月17日
MBOで不当介入、シャルレ元社長らに賠償命令
下着販売会社「シャルレ」(神戸市)が2008年に発表したMBO(経営陣による自社買収)を巡る株主代表訴訟の判決が16日、神戸地裁であった。
伊良原恵吾裁判長は、創業家である当時の林勝哉社長と母親の林宏子取締役が、自社株の買い付け価格を下げるよう不当介入したことなどが原因で同社が約1億9700万円の損害を受けたと認定。2人に対し、同額を同社に支払うよう命じた。
シャルレ(Wikipedia)
女性用下着を中心とした衣料商社。代理店・特約店による訪問販売形式で商品を提供している。
セシール
里中満智子さんによる「セシール物語(2003年1月、非売品)に創業者・正岡道一が生まれてから退職するまでが良くまとめられている。2003年は正岡道一社長が親族全員と社を辞した年である。したがって、この書が発行された時には、すでに社長の退社が本書の締めくくりとなっている。
書籍のカバー、書はさらに二重箱に入った形で提供(無料謹呈)された
セシールついに東証一部上場
引退だ
わたしは社長を退き、同時に親族もすべて会社から退く
セシール(Wikipedia)
創業者の正岡道一が、1972年に高松市で創業。妻と共にストッキングをリヤカーに積んで販売して歩いた。1974年に、法人化して東洋物産株式会社を設立。翌1975年から通信販売を開始し、通信販売業者として発展し、株式上場も果たした。
ライブドアグループ入り[編集]
販売が低迷したこともあり、2005年10月21日に、ライブドア(現LDH)、ライブドアマーケティング(現 メディアイノベーション)の2社と資本・業務提携契約を締結。
フジサンケイグループ入り[編集]
フジ・メディア・サービスが議決権で78.06%の株式を取得して、子会社化した。2010年3月8日には、株式交換を実施して、フジ・メディア・サービスがセシールを完全子会社化した(これに先立つ2月24日付けで上場廃止)[2]。
四国新聞社 2003年12月23日
退職功労金を辞退 セシール正岡社長
セシールの正岡道一社長は二十二日、来年三月下旬で退任する際に役員特別退職功労金を辞退することを明らかにした。今期決算で売上高が十八年ぶりに千億円を割り込む見通しとなるなど、厳しい経営情勢を勘案したとみられる。
正岡社長の意向を受け、同社は退職功労金の原資を十二月から再開したテレビCMの費用に充てる方針。功労金の金額は非公表。退職金は通常通り支払われる。
2009年2月22日
正岡(元)社長いまいずこ? セシールの決算
売上高 639億円
純損失 14億円
これは2年連続の赤字ですね。
一頃は2000億円を超えた売上で、通販の雄として注目されましたが、今やこの体たらく。
「通販円舞曲」という本を読みますと、そこに登場する社長が正岡(元)社長をモデルにしているのだろうと評判になったことがありますが、あの正岡(元)社長がまだセシールの社長であればこんな無様な状態にはなっていなかったでしょうね。
悪くても1000億円の売上は維持しており黒字でいるでしょう。彼はお客様の心理と商品とカタログを熟知しており、経費削減と効率化では優れていましたから。
その次の社長が銀行出身で通販が全くわからず急速に売上を落としましたね。そしてライブドアが入り、・・・・凋落の道をたどっています。
そういえば、正岡社長さん、今どこにいるのでしょうか?
どなたか知っていれば教えていただきたいですね。もちろん大金持ちで悠々自適の生活をされていると思いますが。
2009年8月21日
経営はスピード・・・セシール元社長に見るスピード経営
昨夜のテレビで、エビナ電化工業社長の海老名氏が「即断・即決・即実行」ということを言われていました。それですぐに思い出したのが、日本の通販業界で、かつて一世を風靡した?セシールの正岡元社長のこと。
彼にお会いしたときに言われたのが「スピードが大事だよ。特にわれわれの会社のように小さな会社が大手に立ち向かって生き残るためには、スピードが決め手なんだ。大きな会社では物事を決めるのに稟議書だ会議だと何日もかかるようだが、ウチでは私が即決する。それで他社に打ち勝つことができるんだ」
と、熱く話されていたのです。
「すぐにやりなさい。しかし完璧に」
これは大変です。しかも彼は決裁したあとのフオローも確実に行っていたようで、部下としてはおちおちできなかったといいます。「あの件はどうなった」「今どのように進行しているのか」と直接社内を出歩き声をかけ確認して行ったようです。そういうこともあり、セシールは日本のカタログ通販会社最高の20000億円を売り上げたのでしょう。(この決裁の様子は「通販円舞曲」という本にも詳しく書かれています)
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