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zoom RSS 大学進学率を10%とし職業訓練校を高度化すれば日本の創造性は向上するか

<<   作成日時 : 2014/12/06 10:20   >>

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創造性とはなんだろうか? それは学校の成績と関係するのだろうか? こんな疑問である。

日本は詰め込み教育が間違っているのではないかと考え、ゆとり教育に移行したが、これもやはり間違いであったと考え、現在は従来の詰め込み教育?に揺れ戻しつつある。

詰め込み教育は悪なのか? 多くの人は悪だと思っているだろう。それは小中高校の12年間で苦しみ抜いた思い出が、その感情を強いものにしている結果であるかもしれない。

最近は人工知能の発達には目覚しいものがあり、チェスは圧倒的にコンピュータの勝ち、将棋も人間には部が悪く最近はプロ棋士がコンピュータにお教えを受ける状況、そして囲碁もついにコンピュータの勝率が人を超えた。さらに普通の大学の入試くらいなら合格するレベルにも達してしまった。

コンピュータがこんなに強くなった理由はどこにあるのか? 人工知能は一般にはデータベース部と論理推算部分よりなっている。データベース部は過去の情報を溜め込む部分であり、人間の教育に例えると詰め込み教育に相当する。論理推算部分は多くの情報よりルールを見つけ出し、それを用いて新たなシミュレーションを行い答えを導き出す部分である。

詰め込み教育が悪いのは、単に知識を知識として覚え込んでいるだけで、定形問題に対して的確なアウトプットはできるが、応用問題となるとそこで思考が停止してしまう。しかしながら、幸いというべきか、大学入試で出される問題は必ず答えがあり、応用が必要であったとしても低いレベルにとどまっているので、詰め込み教育型秀才(学業秀才)は高得点を得て有名大学に入学していく。

これを改革し、応用力のある創造性(想像性?)豊かな学生を育てることを目的に、ゆとり教育へと軸足を移したのだと思うが、やはり今日の試験の成績を良くするという近々の問題に対しては記憶すること、詰め込み教育に終始することとなったのであろう。これがゆとり教育失敗の原因ではないかと私は考えている。

こう考えると、詰め込み教育にしてもゆとり教育にしても根は同じで、日々の試験の成績を重視する教育方針そのものに問題の根幹があるということになる。この問題の根幹を取り除け、しかも学生の創造性、そして創造に対する強い意欲が測定できる大学入試方式が編み出されるならば、大学は活気にあふれ相互研鑽可能な想像力(想像力)を育む場を提供できることになるだろう。

明治時代の帝国大学は学生数は少なかったが、意欲と使命感にあふれる学生が入学し、かれらは学び舎から巣立って日本国の発展に大いに寄与した。これは、優秀な人材を一点に集めることによりホットポイントを作り出すことに成功した結果であると考えられる。

日本国民がいくら優秀といっても、高校生の10人に6人が大学に進学する状況は正常か? 就職を目的に大学に進学する高校生は多いと思うが、大学とは本来は学問を極めることを目的とした場であると思う。学問などはどこまで行っても極めることはできない。そこに新たな発見があり創造がうまれる訳である。大学の本来のありようと大学生の目的のミスマッチが総体的にみた大学の質の低下を招いているのだと思う。

仮定の話である。大学へは高校生の10人に1人が進学すればよいではないか。ただし、入学条件として単に学業秀才ではないことは入れておく必要がある。下の記事の「グローバル型大学とローカル型大学」の議論は大切ではあるが、やはり重要となるのが選別方式(入学要件)である。人にはそれぞれ得意な能力があり、また人生における夢もある。人生に向かい合う気概の強さにも違いがある。それらを総合的に勘案して入学者を決定する入試方式が求められる。今の知識偏重型の入試方式においては、本来の高等教育を施すべき学生を、その入口で排除している可能性もある。

話をノーベル賞に移すと、地方大学からも受賞者が出ている。下村脩さん(長崎大学、2008年化学賞)や中村修二さん(徳島大学、2014年物理学賞)である。知識偏重型の入試制度を改革すれば、下村さんや中村さんのような学生の多くが、切磋琢磨できる環境に身を置く機会を増やすことができ、日本の知的創造レベルが今以上に伸びていくことが期待できると私は考えている。

以下には、「グローバル型大学とローカル型大学」に関する記事、「中国の大学受験方式変更」に関する記事、そして聖書の「タラント(タレント)」に関する記事を示した。中国も科挙の影響が色濃く残り、知識偏重型の学生で溢れているようである。聖書のタラントに関する部分は、読めば読むほどに意味深長である。この部分は経済面に焦点が当てられているが、タラントはタレント(才能)であるので如何様にも解釈することができる。そう言う意味で意味深長である。



Buisiness Journal 11月27日

勝ち組からあぶれ、学力が高卒以下の大卒者急増?上位大学以外は職業訓練校にすべきか  よりの抜粋

 10月9日に文部科学省の「実践的な職業教育を行う新たな高等教育機関の制度化に関する有識者会議」で提案された「G型大学」「L型大学」が、さまざまな議論を呼び、「大学とは何か」というような議論にまで発展している。

 提案の趣旨としては、現在ある大学を、グローバル人材を育てる「G(グローバル)型大学」と、職業訓練校的な教育を施す「L(ローカル)型大学」とに分ける教育改革をしようというのだ。

資料 我が国の産業構造と労働市場のパラダイムシフトから見る高等教育機関の今後の方向性
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●高度経済成長期の3.6倍にまで膨らんだ大学卒業生

 今回の提言のベースにあるのは、大学生そのものが多くなったことだ。第1回東京オリンピックの翌年、高度経済成長期に当たる1965年の大学卒業生は15万人程度だった。しかし、約半世紀を過ぎた2013年には、55万人が大学を卒業した。つまり約3.6倍の大卒生が毎年、労働市場に出ていることになる。

●L型大学で地域活性化

 前出・冨山氏の提案書では、経済圏には、製造業や大企業を中心としたグローバル経済圏(Gの世界)と、中堅・中小企業を中心としたローカル経済圏(Lの世界)があるという導入から始まる。そしてその日本のローカル経済圏の労働生産性が先進国の中で最低レベルであることを問題視しており、生産性を上げるための方策としてL型大学を提唱している。

 AO入試(学科試験以外に、出願者の個性や適性などで合否を決定する入試方法)などで簡単に大学に入学し、受験勉強すら満足にせず、4年間遊んですごした大卒生などは、高卒生より基礎学力が低い例もある。学歴と学力が逆転しているのだ。

 そのような状況を打開するために、高等教育の大改革として上位校以外の大学は、「新たな教育機関」に吸収されるべきという。それがL型大学であり、生産性向上に資するスキル保持者の輩出機関としての職業訓練なのだ。そして生産性が向上すれば、長期的に雇用は増加傾向になると考えられる。一方、グローバル経済圏では、世界トップクラスしか生き残れず少数精鋭化されていき、雇用は長期的には漸減傾向となると予測されている。

●L型大学では実践力を教える

 提案書では、L型大学は、「学問」よりも「実践力」を身につけることを勧めている。例えば、文学部系では、観光業で必要となる英語、地元の歴史、文化の名所説明力を学ぶべきだと説いている。「これが大学で学ぶべきことなのか」という批判があるが、ローカル経済圏であれば、L型大学生が就職活動で戦う競合相手の高校生・専門学校生は、これらを教科として学んでいる例も多い。そうすると、就職活動の時点で明らかに負けてしまうことになる。

 採用担当者の立場になってみればよくわかる。すでにスキルを持っているか、これから教育を施す必要があるのかを考えると、スキルを持っている学生に内定を出すだろう

 L型大学は「新たな高等教育機関」に吸収されるべきとする提案は、就職活動での高卒生、専門学校卒生との競争関係から考えてもいい方策ではないか。すなわち、グローバル経済圏で戦う能力がない大学生を減らして、ジョブ型雇用で活躍できるスキルを持った人材を育成することにつながる。もちろん、「新たな高等教育機関」にふさわしい、リベラルアーツ(基礎教養的な学問)は履修科目として加え、そこからG型大学への編入などの道もあるべきだ。

 そのような改革の青写真を描いた提案である。
(文=大坪和博/PLAN G 代表)




日本経済新聞 12月4日

大学入試改革 中国の宿題

一発勝負を減らし、科目も選択性に 「点数秀才」求めない
 小学校から勉強漬けの毎日を送るものの、紋切り型の「点数秀才」が生まれるだけで、イノベーションは苦手とされる。

壮絶な受験戦争
 現在の受験制度が若者たちを押しつぶしかねない。
 中国では大学に進学する人が増え続け、14年の卒業生数は10年前の2.5倍の727万人に膨れ上がった。
 (※2012年の大学進学率 日本は61%、中国は27%、韓国は98%)

学歴各差が歴然
 大学統一入試のそれぞれの地域の成績優秀者「状元」は期待したほどの成功はおさめていない。

批判記事相次ぐ
 中国の政府、市民が複雑な思い出見つめているのが日本の相次ぐノーベル賞受賞。



聖書 マタイの福音書 マタイ25:14〜29

タラント

また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。

五タラントを渡された者は、すぐに行って、それで商売をして、ほかに五タラントをもうけた。二タラントの者も同様にして、ほかに二タラントをもうけた。しかし、一タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。

だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。二タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたはわたしに二タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに二タラントをもうけました』。主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。

一タラントを渡された者も進み出て言った、『ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます』。

すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろうに。さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、十タラントを持っている者にやりなさい。おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい。彼は、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。


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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
大学生の人数が多いのは無駄ではないか?という意見ですか?

例え脳力に問題があっても大学生としての四年間は無駄ではないし大卒が多いほど国民の教養水準は高くなりそれは様々な面で望ましい事です。

一部のエリートが社会や会社を支配するようではエリートの限界がその社会や会社の限界に成ります。
匿名
2014/12/06 10:32
匿名様

大学の4年間が無駄ではないこと、そしてその大学在学期間での体験が社会に出た時に役立つことは非常によく理解できますし、私もその通りだと思っています。

しかし、価値観が多様化している現代においては、自分の好きなこと、自分の得意なことを伸ばしていくことが、個人としての幸せにつながることもひとつの真理ではないでしょうか。もし個々人が強く望むことがあればの前提ですが。

大学進学率は、例えばという前提で10%としましたのは少し行き過ぎであるかもしれませんが、大学に進む全員が全員、大学へ進むことが是なのか、それとも別のもっといい道があるのかは、本来は大学進学前に考えることだと思います。この答えが出ないことが難しいのでしょうけれども。

今は偏差値のみでどこの大学のどの学部なら合格できると機械的な割り振りがなされている感もあり、本人にとってその道が幸せにつながるかを高校時代に考えてみることはその後の人生において意味あることだと思います。

世の中はいろいろなスペシャリストがいて実りあるものになり、また、このような世の中が実現できれば個人にも生きがい・やりがいが生まれるものと思います。

「グローバル型大学とローカル型大学」に関する記事はこのような観点から書かれたものと理解しています。また、「中国の大学受験方式変更」は機械的な記憶力試験ではなく、得意(好きなこと)を活かせる試験方式に変更すれば、将来、中国にとって素晴らしいアウトプット(ノーベル賞?)を生み出してくれる思惑があるものと理解しています。
畑啓之
2014/12/07 00:21
大学進学率が上がるということは大学数が増えることと大学定員数が増えたからに他なりません。

大学数や定員数を増やすことを認めたのは文部科学省です。そして大学への補助金もそれに連れて増えました。

その上に学術水準の向上を理由に大学院数やその定員を増やしました。その結果は博士課程を出ても定職に就けない者が増えただけです。

今の政府(総務省)は大学を三種類に分類してそれぞれに補助金額の差をつけるそうです。その結果は倒産する大学や学部が増える(学生数が減るので当然ですが)のは明らかです。

学生数が減って大学数も減るのが自然の成り行きであれば大学をGとかLなどに分類する必要はありません。自然淘汰に任せればよいのです。

大学はノーベル賞を貰える人間を選別養成する為にあるのではなく国民の生活を豊かにする為にあるのです。
匿名
2014/12/07 11:13

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