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zoom RSS もしも北里柴三郎が西欧人であったなら、確実にノーベル賞を受けていた

<<   作成日時 : 2015/03/09 22:17   >>

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本日付の日本経済新聞に「北里柴三郎」に関するテルモの広告記事が掲載されていた。Terumoはドイツ語で,
体温計のことである。

北里柴三郎は日本人である。日本人であるがゆえに、学問上の業績までも軽んじられた経緯がある。状況証拠である。ノーベル賞の初期の受賞者は、西欧人である。東洋人の入り込む余地はなかったのだろう。

血清療法の発見では、ノーベル賞を受賞したベーリングより北里の方が重要な貢献をしていたようである。

血清療法の発見
 1890年 コッホ門下のベーリングとの共同研究でジフテリアと破傷風の抗毒素血清を発見。
 1901年 ベーリングは第1回のノーベル医学生理学賞を受賞。
 もっとも重要な「免疫の血清」に関する部分は、北里の業縦によるところが大きいと推測されるのだが。ベーリングは共同研究までは免疫の研究は行っていなかった。

ペスト菌の発見ではエルサンよりも1週間先んじている。

それにもかかわらずである。

救いは、北里の医学への貢献が西欧諸国でしっかりと認識されている(と思われる)ことである。
その点は、合理的な西欧諸国。証拠があればそれを認めるということだ。


英語版Wikipediaより
Kitasato Shibasaburō(Wikipedia)

He studied under Dr. Robert Koch in the University of Berlin from 1885 to 1891. In 1889, he was the first person to grow the tetanus bacillus in pure culture, and in 1890 cooperated with Emil von Behring in developing a serum therapy for tetanus using this pure culture. He also worked on antitoxins for diphtheria and anthrax. Kitasato and Behring demonstrated the value of antitoxin in preventing disease by producing a passive immunity to tetanus in an animal that received graded injections of blood serum from another animal infected with the disease

He traveled to Hong Kong in 1894 at the request of the Japanese government during an outbreak of the bubonic plague, and identified a bacterium that he concluded was causing the disease. Yersin, working separately, found the same organism several days later.


エミール・アドルフ・フォン・ベーリング(Wikipedia)

1890年12月4日、ドイツ医学週報第49号に「動物におけるジフテリア免疫と破傷風免疫の成立について」を北里柴三郎との共著として発表。第50号において北里との共著ではなく、自身の名前のみでジフテリアについてデータを発表した。


1901年 「ジフテリアに対する血清療法の研究」で第一回ノーベル生理学・医学賞を受賞。受賞に際し、自分だけの功績ではなく、北里あっての結果であることを述べたとされる。北里柴三郎が受賞できなかったのは、ジフテリアについてのデータを単独名の論文で発表したこと、ノーベル賞委員会や選考に当たったカロリンスカ研究所が血清療法のアイディアはベーリングの創出で北里は実験事実を提供しただけとみなしたこと、賞創設後最初の選考でのちのような共同授賞の考え方がまだなかったことが要因としてあげられている。



日本経済新聞 3月9日 TERUMOの全面広告

医療の挑戦者たち ペスト菌の発見 北里柴三郎

日本人の歴史的偉業 知られざる真実

北里柴三郎 1894年6月14日   ペスト流行下のホンコンでペスト菌を発見
         論文は英国医学誌ランセットに掲載
アレクサンドル・エルサン(フランス) 北里の翌週に同じく香港でペスト菌を発見
         フランス・パスツール研究所・研究所年報に掲載

万国衛生会議(1897年) 2人がペスト菌の発見者として認められる。
が、その後、エルサンの名前が発見者として前面に出る。

カリフォルニアの2人の研究者が多くの記録を精査し、1976年に総括論文を出す。
これで北里はペスト菌の発見から82年後に発見者であると認められる。

画像


こちらをクリックすると本論文が閲覧できる。その結論部分の一部を引用すると次のようになっている。

画像



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抗原抗体反応を応用した血清免疫療法を実用化したのは牛痘を人体に移植したジェンナーさんが最初の人間です。彼のお蔭で天然痘が撲滅されそのたの感染症治療法が確立されました。
匿名
2015/03/10 10:00

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